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一歩


まだまだ 上り坂の途中


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明けましておめでとうございます。

ノロやインフルエンザが大流行しているらしく
近所の幼稚園は一週間の学級閉鎖なのだそうです。
家の中でぬくぬく過ごしていますが、外来は大変なことになっているのだろうなぁ・・・。
同期が「インフルエンザにでも罹って仕事を休みたいと思うことがある」と漏らしていましたが
あれだけ暴露されているにも関わらずぴんぴんしているのが私たちなのです。


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出産後実家に戻っておりましたが
母には私のこどもの扱いが雑に見えるらしく
そんなことをして大丈夫なのか もうやめなさい 信用ならない
等々ひどい言われようです。
小児科医なのに・・・・・。
乱暴に(笑)されても息子はすくすく成長中。



家族が1人増えて 迎えた2014年

2013年の課題はそっくりそのまま残っていますが
信じてこの坂を一歩一歩登っていこうと思います。
大丈夫、きっとどうにかなる。


I hope it will be a brilliant year.
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by 2pinoko | 2014-01-21 16:11 | こんなことがあった。

Home is where the heart is

皆様お久しぶりです。

あけましておめでとうございます。
ここで新年のご挨拶も8回目となりました。
細々と続けております まほろま。ですが
本年もよろしく願いいたします。

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※今年は申年ではありません

時間と仕事に追われて気が付けば2011年は終り
2012年を迎えておりました。
年末年始はこどもの嘔吐下痢が多く
それでびっくりした親が救急要請するケースも多く
ますますぐったり要素が加わった当直でした。


では、遅くなりましたが毎年の総括と新年の抱負です。



・おこちゃまやります
ギリギリになって自分の進路を決定。
学生の頃は考えもしなかったのに不思議なものですね。

・東日本大震災
春を切望しました。
桜前線が北上していくのがうれしかった。

・何が起こるかわからない
そのつもりがなかったわけではないけれど
折り紙折ったり席次札作ったり
やり始めれば楽しい準備でした。
沢山の友人たちにお手伝いしてもらい
あの時期に無事結婚式をあげることができました。
ありがとう。

・足りない
薬、輸液、血培ボトル
圧倒的にマンパワー

・棚ぼたハネムーン
行かなきゃだめよ!
上司の一言で急遽決定。
南の島もいいものですね。

・出会い
初めて向き合ったこどものanorexia
交換日記に綴られた感情
EEGをめくるより私の好きなことだと思った

・ビールと芸術の街
プラハとハンガリーへ。
ビール!肉!古都!マリオネット!コンサート!
また訪れたい素敵な街。

・体調不良
疲れがたまってきたせいかよく体調をくずした。
人に会うために頑張って休みをつくってもらう
→その分しわ寄せがくる
→体調を崩す
のだめなパターンに。
あれだけ鍛えたはずの体力はいずこへ?

・水痘ですか
肌トラブルがないのが唯一の自慢だったのに
生まれて初めて尋常性ざ瘡大量発生に見舞われ
もう何かの感染症としか思えないほどの成長っぷり。
いろいろ試すがよくならず。
皮膚科の権威に相談したら「生活スタイルを変えなさい。」
それは無理なお話です。
ニキビの悩みは尽きないのです。

・Herz
2か月で4人の子を見送った。
忙しさが増すにつれてニキビは成長し
眠れない日が増えた。

・甥っ子②
チビがもう1匹誕生
おばさんとは呼ばせない方針そのまま変更なし



忘れられない1年
忘れてはいけない1年となりました。
私の大切な人たちが元気で笑っていてくれればいい、から
「誰か」の無事を「誰か」の幸せを祈るようになりました。

大丈夫、大丈夫
くじけそうなときは何度もそう心の中で唱えました。
気持ちがふらつかなくなってきたのは私が強くなったからではなく
支えてくれる人がいるから。
だから明日もきっと大丈夫。
そう呟いて布団に入ります。

「ここに帰っておりで」
その言葉に救われる。






『心に栄養を』

2012年はこれ。
心に余裕がなければ人を思いやることはできない。
イライラして疲れてうまくいかないことが重なって
誰かを傷つけたりしないように
ヘラヘラ笑って私らしく
これが今年の目標です。
外の空気を吸える時間を大切にしたい。
納得できないことも
理不尽なことも不可解なこともたくさんあるけれど
今はただ目の前にあることをやるしかない。


2012年が皆様にとって素敵な1年となりますように。


                     2012.1.24 ある市民病院の当直室より
                                          ぴのこ
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by 2pinoko | 2012-01-24 20:58 | こんなことがあった。

これから



いくつかご報告があります。


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まず、ずっと悩んでいた進路ですが
小児科医として歩んでいくことを決めました。
以前から考えていた外科系から内科にしたのは
cureよりcareに興味を持ったことが一番の理由です。
学生時代ずっと自閉ちゃんと過した日々もこの選択に大きく関わっていると思います。

医者としても、小児科医としても
まだまだ未熟者ですが
自分で決めた道に責任を持って頑張ろうと思います。
小児科医、ぴのこ。
医学生ぴのこから始まり
研修医ぴのこになり
4月からは小児科医ぴのこです。
何だか不思議な感じがします。
これからもぴのこ、まほろま。をよろしくお願いいたします。



そして、報告をもう一つ。
先日無事、結婚式を挙げることができました。
関係者の皆様、何から何までお世話になりっぱなしで申し訳ない。
お陰でとても楽しくて幸せな一日でした。
心から、ありがとう。

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3月11日、地下の細菌検査室にいた私は尋常ではない揺れを感じ、あわてシャーレを押さえました。
何かとんでもいことが起こった。そう思いました。
その日の当直は、救急外来の受診者は少ないものの
未明まで帰宅できない患者さんや職員で外来はごった返しており
大きな不安に包まれた一夜でした。

私は医学部6年間、雪国で過ごしました。
東北にいる同期に電話をしましたがつながらず
とにかくメールだけを送って彼らの返信を待ちました。
地震から2,3日後、やっと皆の無事が確認できて
ほっとして涙が出ました。
仙台も、石巻も、気仙沼も、盛岡も、八戸も、茨城も、日立も
「皆、無事です。」
ほっとしましたが、その後の報道を見るたびに今も彼らが電気もガスも止まり
物資も足りなく不便を極める中激務にあたっていることを考えると
何も出来ない自分が情けなかった。

震災から2週間後に挙式を控えていた私達は
式を中止するつもりでいました。
余震、交通の混乱、物資の不足、原発も問題もあり世の中が漫然と不安に包まれている中
とてもお祝いのムードではないと思ったのです。
そう思って東北にいる彼らに連絡を取ったのですが、逆に喝を入れられてしまいました。
「こんなときだから、ちゃんと式、挙げてきなさい。それで、ちゃんと報告しなさい。」
「俺たちはいけないけれど、お祝いしてもらっておいで。」
「みんなちょっとずつ何かを我慢して過ごしているんだから、明るい話題を提供してきなさい。」

東北にいる友人たちの言葉に後押しされるような形で
予定通り結婚式を挙げさせていただきました。

幼少時からお世話になっている幼馴染のお母さんのお店に御支度してもらって
幼馴染含め多くの友人にお手伝いしてもらって
規模は小さな式でしたが、特別な1日になりました。
たくさんの良き友人たちに囲まれて、私は本当に恵まれていると思います。
ありがとう。
震災後からあまり見られなかった皆の笑顔が見られて
私も嬉しかったです。

震災の影響で会えなかった友人が
今も被災地で激務の中にいる同期や先輩、後輩たちが
被災地で避難生活を送る皆様が
心から笑って、安心して生活できる日が一日でも早く来ることを願っています。
一医療者として、一人の人間として
私のできることをしていきたい。


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こぶしの花が咲いたよ。
風の香りが変わったよ。
今日はとても暖かかった。
公園で食べたチョコパンが、とてもおいしかった。
桜が咲き始めたんだって。

春が、来たよ。
春だよ。
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by 2pinoko | 2011-04-07 00:34 | つらつら。

紫陽花の咲く庭

将来の夢はときかれても 答えに詰まる。

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スーパードクターになろうなんて更々思わない。

大学で出世していこうとか
稼ごうとか
そういう思考とは縁遠くて。



ブランド物のバッグも高級車も宝石も要らない。
時々贅沢できる余裕があればいい。
庭と縁側のある家に住んで
ハーブと野菜を小さな畑で育てる。
山吹、ライラックス、辛夷、金木犀、ハナミヅキ
紫陽花。6月は紫陽花の花でいっぱいにしたい。

それだけ。
私の大きな夢。









私がいなくたって仕事は回る。
どんなに経験をつんでもそれは同じことで
私がいなくたって適切な医療は行われていく。
それでも私がかかわることで1つ笑顔が増えればいい。
まるで平凡な私が医師であり続けようと思う理由。

誰よりも自分が救われたいと願っているのに
「人のために」なんておこがましくて言えない。
「自分のため」なのだ。
笑顔に癒される自分がいるから。
紫陽花の庭
私の大切な人々
家族のため

自分のため。

自分のために医師であり続けようと思った。
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by 2pinoko | 2010-06-13 10:15 | こんなことがあった。

わたしはいくが、あなたはのこる



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「わたしはいくが、あなたはのこる」永遠に越えられぬ偉大な人

 50代の男性だった。医師になって2年目、佐久総合病院の小海診療所で研修中に、師匠の清水茂文先生(元佐久総合病院院長)に連れられ往診した先で彼に出会った。

 17年前、まだワープロを使えなかった私。ワープロでしか意思表示ができなかった彼。彼は、筋委縮性側索硬化症(ALS)で、四肢が全く動かず、人工呼吸器をつけていた。

 ただただ驚いた。今でもICUで管理するような重症患者を当時から在宅で診ることができた佐久の医療。それを支えていた家族の力。清水先生と患者、家族との深い信頼関係。その何もかもに。

 しかし何より驚いたのは、彼が、微妙な瞼の動きだけでワープロから紡ぎ出す言葉だった。ALS患者は重篤な筋萎縮と筋力低下を来すが、感覚系は侵されず、意識は清明だ。

 彼の話の具体的な内容までは思い出せない。しかし、彼は「自分の死」について話していた。痛いとか苦しいとか、泣き言を一切言わず、淡々と死を語っていた記憶がある。

 往診から数日後、彼から一通の手紙が届いた。彼の主治医は清水先生であり、初めて会った研修医になぜ手紙をしたためたのかは分からない。もしかしたら、変わった医者だと面白がってくれたのかもしれない。あの日そこにあった何もかもに圧倒された新米の医者は、彼の「私はもうすぐ死ぬ」という言葉に「そうですね」と能天気に相槌を打ってしまったような気がする。ともかく、私の何かが彼の心に触れたのだろう。

患者自らが選び取った死
 封を切ると、ワープロで書かれた短い文章があった。「わたしのりょうめをしっかりみたあなたへ、いいおいしゃさんになってね」

 文末に「また、あそびにきてください」とあったので、葉書で「いずれ、伺います」と返事した。そして、小海診療所での1カ月の研修の最後の日に、一人で自宅を訪問した。

 そのときも、彼は「自分の死」について語った。私も誠実に自分が思ったままを話した。当時は医師としての経験が浅く、あまり自覚できなかったのだが、その後たくさんの患者を看取って、彼がいかに特別な人だったか今はよく分かる。あんなに心静かに目の前にある「自分の死」と向き合える人は、後にも先にも彼しかいない。

 数カ月後、研修を終え本院に戻っていた私に、また彼からワープロ打ちの手紙が来た。とても短い手紙で、そこに「わたしはいくが、あなたはのこる」という一節があった。

 不吉なものを感じて、数日後、彼の家に行ったが、彼は既にこの世の人ではなくなっていた。数カ月前の様子からすれば、何か特別なことがなければ、まだ死ぬはずはない。しかし、奥さんになぜ亡くなったのか尋ねられるはずもなく、焼香をして帰ってくるしかなかった。

 彼の死に際のありようを知ったのは、それから4年後の新聞記事だった。清水先生を取材したその記事で、彼は口から物を食べられなくなった時点で、経鼻栄養を拒否し、清水先生を説得して死を選んだということを知った。そう、彼は死んだのではなく、自ら死を選び取ったのだ。彼が語っていた、生前の言葉そのままに。

 医師と末期患者が話すとき、無意識に死を忌避する。死がすぐそこにあると分かっているのに、そんなもの存在しないかのごとく、目をそらし、ごまかし、やり過ごす。私も例外ではない。

 彼が住んでいた家は、私が車でいつも通る道からよく見える場所に今も建っている。そこを通るたびに彼のを勁(つよ)さ思い出し、自分の弱さを思い知らされる。彼の死は、永遠に越えられないものとして、今も私の中で生きている。 (談)

まとめ:風間 浩


色平哲郎氏
Tetsuro Irohira
JA長野厚生連・佐久総合病院地域医療部地域ケア科医長●1960年生まれ。90年京都大学医学部卒業。みさと健和病院(埼玉県三郷市)、南相木村国保直営診療所長などを経て2008年より現職。









自分の姿と重なった。



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病院で過ごす毎日より
アンデスの山岳地帯で過ごす日々の方が 生と死はリアルで
自然と私の隣にあった。

生が際立つ程
「生きる」ことに貪欲である程
死が際立つ。
それはあまりにも自然に
傍らにいるのだ
意識せずとも。


エネルギッシュな生と
清々しいほどの死



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sterben



ドイツ語で死を意味する。
病院内で使われる言葉。
今月、何度も耳にした言葉。使用した言葉。
きっと、来月も。







明日も雨らしい。
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by 2pinoko | 2009-05-29 23:14 | 出会い。

6年間を振り返って(2)



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続きはまたなんて言っておきながら、ゆっくりPCに向かう暇もなく過ごしておりました。
南米から帰ってきて以降は国内をまわっておりまして
先日やっと自分のアパートにもどって来ました。
こんな理由で「忙しい」なんて贅沢な話です。

ぽかぽか陽気の山桜の道を歩き、ダウン着こんで雪山を上り
南へ北へと訪ね歩いていたわけですが
一面の菜の花でも真っ白に光る雪景色でも
変わらないのは風にのって運ばれてくる春のかほり。

今年も、また、春がやってきました。


そろそろ研修に向けて勉強でも、と思っていたのですが
まず片付けるべきは引っ越し準備の様です。
昨日大量のファイル教科書問題集の類を処理しましたが
まだまだ、まだまだのようで。
特に台所回りとかどうしたら良いものか・・・・・。
果たして私は引っ越せるのでしょうか。

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話を戻しましょう。


やり場のない気持ちをいろんな形で表現できたのがこのまほろま。でした。そしてブログをきっかけにいろいろな人の考えにも触れ、テレビや新聞ではわからない「声」も目にするようになりました。

今後の自分について真剣に考えるきっかけとなったのは3年前の大野病院事件です。あのニュースは学生の私にも衝撃的であり、自分の行く末に大きな不安を覚えました。自分が既に「こっち側」の人間になってしまっている事実に気付かされ、かといって医療者側の意見に完全に同意できるわけでもないその気持ち悪さ。ネット上で繰り広げられる討論に(討論などと呼べないものも多々見受けられましたが)立場の違いから生まれる溝は限りなく深く感じられ、その当時は自分の進む道に全く希望なんてないのではと思ったくらいです。将来について、医師という職業について、自分の立ち位置について、女性であるということについて、考え始めたのはこのとき。大学3年生でした。


大学生活の後半は忙しく、常に何かに追われた生活していたような気がします。そしてプライベーにおいて、個人的には最も辛い時期でした。
実習が始まり慣れないことに右往左往し、自分の無力を思い知る日々。
そんな時期に辛いことが重なり、途方に暮れ、もうこれは進むしかないのだと自分に言い聞かせて盲目的に走り続けていたように思います。良くないことというのは重なるもので、続けて2重3重と圧し掛かってくる苦渋に耐えきれず、私はよく逃げ出しました。自分がこんなに卑怯な人間だと思わなかったし、陋劣な自己を恥じました。人間というもの、人の死に向き合うことが恐ろしくなり、このままの進路でいいものかと悩んだりもしました。薬のお世話になった時期もあったし、しまいには大学を休学したいと言って親を心配させたこともあります。それでも容赦なくやってくるのが就職試験であり卒業試験であり、自分の調子と相談しながらのらりくらり日々を「こなす」毎日でした。へらへら笑っている自分に嫌気がさしたものです。可笑しくもないくせに。

うだうだと考えるのです。今の自分、将来の自分、昔の自分、さて、どう歩く?


救いとなったのはこのまほろま。でした。元気じゃない自分でも「元気」でいられたし、そうすることで自分自身を励ますことができました。また、虚勢を張ることもなく疲れたときは疲れたのだと言える場所。うだうだと感情や思考の断片を文字にすることによって、私は自分自身と向き合っていたのだと思います。
そして何より支えとなったのは家族を含む私の大切な人たちです。いつでも彼らが健康で、笑っていて欲しい。原点はここであり、思い出させてくれたのもまた、彼らでした。
くわえて時間の経過は私に考える余裕と卑劣で弱い自分を認める勇気を与えてくれました。そして、自分のこれからに向き合う勇気も。

入学当初に抱いた気持とずっと見つめ続けた現実と現在の覚悟、全部ひっくるめてまずは一歩一歩しっかり歩いていきたいと思います。ずっと正解のわからないまま考え続けてきたことへの現時点での答えです。
国試前に今のような気持ちになれたことは本当に良かったと思います。そうでなければ国試も全くやる気のないまま受験して、不合格になってもきっとショックさえ受けなかったでしょう。




合格発表前に書いておきたかったこと。

応援してくれた人に
優しさをくれた人に
楽しい時間をくれた人に
私を支えてくれた人に
私の成長を見守ってくれた人に

まだ合否はわかりませんがちょっと人より長かった学生生活もとりあえずは終了です。
ここまで長々と読んでくださいましてありがとうございました。
完全に自己満足でしかないまほろま。でしたが、それでもPCの画面の向こうにいるあなたの存在を意識することで今の私を保つことができたのだと言っても過言ではありません。
研修医になってもまほろま。を続けるかはわかりません。もしかしたら4月からは研修医ではなく、医学にちょっと詳しいただの人になっているかも知れませんが(!!)。
相変わらずまとまりもつかず申し訳ありませんが、以上が今の私の等身大の気持ちです。ずっとまほろま。の住人だった「医学生ぴのこ」には私の中でけじめをつけ、これからは前をみてしっかりとこの先の道を歩んでいきたいと思います。



ありがとうございました。





                             ぴのこ
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by 2pinoko | 2009-03-23 21:41 | つらつら。

今日がどういう日なのか


本日は大野病院事件の判決が下る日です。


大野病院の事件は医療関係者に知らない者はいないほどの事件ですが、そうでない方にはあまり認識されていないのが現実です。
全国の医療者が今日の判決に注目するほど、この事件・判決の持つ意味は大きなものです。






私は基本的にこの場所で時事問題や医療問題について語ることはしないようにしています。
というのも私がこんなところで呟いている目的はそこにないから。

それでもこの事件をめぐる動きに、大きな衝撃を受け記事にしたのが2年半前。
悶々とした気持ちで私はこの記事を書きました。

どう考えますか?06/2/22

06年4月以降、ネット上でこの問題について語ることはしてきませんでしたが、その動きはずっと気にしてきました。


以下はこの件に関連した私のエントリです。
あの頃と今とでは考える内容も少々変わりましたが、当時の私の思いを新しいものから再掲しておきます。

群青と白07/2/25
雑感06/4/28
今日は歌いたい06/4/19
友人からのメール06/3/22
考えてみる<後編>
考えてみる06/3/7


あの事件が新聞で取り上げられ話題になってから、医療現場では多くの変化が見られました

いえ、顕著になった、のほうが適切なのかも知れません。学生の私が肌で感じ取ることができるくらいに、変わっていったのです。
それが患者さんにとって、良いものであったのかどうかは・・・・・・。
しかし、変わらなければならない時期だったのかも知れません。
きっかけがあの事件であっただけで、この流れは必然だったのだろうと今は思います。


この2年半、医療ニュースをずっと追いかけてきました。
そして、いかに偏った情報で(時には感情で)報道がなされるものなのかがわかりました。
既に学生であっても、私は「こっち側」の人間になってしまっていて、一般の人々との間の壁を認識せざるを得ませんでした。
それが驚きであり、同時に悲しくもありました。
しかし最近では、医療者叩き一辺倒であったものから、多面的に問題をとらえ、真実を映そうとする番組も増えました。
2年前では考えられなかったことです。





私は自分の立ち位置について、あれからずっと考えています。



今日は敢えて、記事にします。
大野病院の医師の無罪を願っています。
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by 2pinoko | 2008-08-20 02:42 | つらつら。

私がボランティアという言葉を使用しない理由



先日川原でバーベキューをしていた時のこと。

夏の夜。花火目当てに河原には人が集まる。この時期、警察官たちがこの周囲をパトロールしているらしい。花火は見るに楽しいが、その音・人々の歓声は時に周辺の住民にとっては騒音である。そして放置されるゴミ。それらの抑止力として、数人の警察官たちが河原に集まる人々に声かけをしているわけである。
一人の警官が話しかけてきた。近くにいたのは一年生たちと、私。立場的にも対応するのは私が一番適当と思われた。

「君らも隣の集団と一緒の集まりなの?」
「いえ、違います。」
「君らは何系なの?」
「えー・・・」

答えに詰まった。どういう集まりか。答えに窮したのは別に私たちが人に説明できないような怪しい集団であったから、というわけではない。一言で言い表せる適当な単語が思い浮かばなかったのだ。確かに組織としての名前はあるが、そんな名称を告げたところで意味はない。彼らはどんなことをしているのかを知りたいのである。自閉症の子供を預かって一緒に時間を過ごしてます、なんて説明するのも言いすぎな気がする。あえて言うなら福祉系?なんて頭で考えていたら後ろで後輩が答えた。

「ボランティアです。」






ボランティア。
志願者。奉仕者。自ら進んで社会事業などに無償で参加する人々。



よく、大学入試の面接の際自分をアピールする例として挙げられるものの一つがボランティア活動だ。私はこれこれこういうボランティア活動をしてきました!と意気揚揚語れ、というのである。これじゃまるで「私は誰かのために無償でこんなことをやってあげたのよ、評価して。」と言っているようで、私はいつも違和感を感じていた。ボランティアをしていること自体は大変素晴らしいことだと思う。ただ、どうも私はそれを人に「私はこんなボランティアをしています。」と語ることは「私は無償でこんな社会貢献をしているんだ」と言っているようで、どうも苦手なのである。たとえば
「お祭りの後のゴミ拾いを手伝いました。」
というのと
「お祭りの後のゴミ拾いをボランティアでしました。」
というのでは、どうも後者のほうがしてあげた感が強く出るような感じが私はしてしまうのだが・・・。使い方に違和感を感じずにはいられない。

よって、私はこのボランティアという言葉を使用するのが好きではない。正確にいえば、その使用の仕方が好きではない。


ボランティアと言いたくなかった、だから答えに窮した、というわけではない。私がボランテイィアと言わなかった理由、それは自分がボランティア活動をしていたなんて全く思っていなかったからである。確かに言われてみれば、私たちのやっていることはボランティアに分類されるものかもしれないが、もともと誰かの助けになろうなんて思って始めたことではなく、純粋に自分が子供たちと遊びたかったから始めた活動だ。子どもとはしゃぐのが楽しいから、その成長が楽しみだから、いつもとは違った世界を一緒に見ることができるから、ただあの子に会いたいから、私はあの場所に行くのである。
先日のような場面で説明するにはやはりボランティアサークルが端的で当たり障りなく良いのかもしれないが、やはり私は「ボランティアでやってます。」とは言いたくない。というより、完全に自分の楽しみためであるため、ボランティアで・・・・というのがどうも申し訳ない気がする。

今度聞かれたらなんて答えようか。
・・・・・正直に言うとこうなる。

子どもと、子供好きの学生から社会人までが集まって、みんなで本気で遊ぶ、そんな団体です。


ちょっと、危ない集団みたいだ。
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by 2pinoko | 2008-08-06 02:41 | 自閉ちゃんと私。

心について



それは複雑で到底全記号化され得ぬように思われる。



一度沼の底で
己を認めてしまえば
もう怖いものなどないと思ったのに
後に残るは醜い自分だけであった。

大きな流れにこのまま身を任せて
私は受容され得るのだろうか。


恐ろしく利己的で情けない自分と一緒に
あたたかいものに包まれて溶けてしまいたい。
目を閉じて
深呼吸をして
考える
私の大切なものは何だったのか。
 
『それがかえって私の孤独を明るくした』

言葉を反芻する。






週末を待つ。
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by 2pinoko | 2007-07-20 01:58 | つらつら。

群青と白

ぜひ、読んで頂きたいものがあります。

これは現代の魔女狩りであります。
               『夢見るかえる』より





この件に関連して私が投稿した1年前の記事です。
どう考えますか?
考えてみる。
考えてみる。〈後編〉
友人からのメール
今日は歌いたい。
雑感

記事が納得のいかないものになってしまたこと
私のブログの目的がここにないこと
意図せぬところで言葉だけが一人歩きしてしまうこと
これらの理由から、最後に書いた記事以降この話題に触れることはありませんでした、ブログ上では。
いろいろ思うところあり、また取り上げさせていただきます。




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あまりに空が青くて
吸い込まれていくような感覚にとらわれた、今日の午後。

私の胸を触っておっぱいと喜んでいた小さな男の子は
今日の夜は苦しそうに縮こまって涙目で私を見た。

カルテに書きなぐられた厳しい現実。
笑った顔が好きだといってくれたおじーちゃん。

加速して、加速して
目の前を通り過ぎる。
まずは春まで長距離走。
何かにとりつかれたように一つのことに向かって走る。



めんこちゃんがずるを出来るようになったことが嬉しかった。
と、喜ぶ自分がおかしかった。
今日・おしまい。
明日も走ろう。
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by 2pinoko | 2007-02-25 00:25 | つらつら。