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霜月・雨


少し前の話になる。



彼が、死んだ。



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同期から電話があった。
「前担当してた○○さん、なくなったよ。」


若さゆえに進行が早かった。
自分の身に起こったことを理解できずに
入院当初の彼は不安で苛立っていた。
彼の初めの担当になったのが、私だった。


最後に彼に会ったのは彼が亡くなる1週間前だ。
PSがどんどん低下していく彼のベッドサイドに立つことが辛かった。
どう声をかけていいのかわからなかった。
以前のように他愛ない世間話が出来る状態ではなかったから。
カルテで日々状態を追っていても、最期の1ヶ月彼のベッドサイドにたつ時間は減っていた。
忙しくて日中時間がなかったのはもちろんそうだけれど
私が、行けなかった。


後悔した。
もっと会いにいってあげればよかったと。
彼は私の笑顔を見るのが好きだと言った。
私もそういって笑う彼が好きだった。
セデーションをかけるかもしれない、そうカルテに記述されるようになってすぐ。
私のことを楽しみに待っていてくれるのを知っていて、日々の忙しさを理由に私は彼に会いに行かなかった。

彼の身体に巣喰った病変を
彼を、彼の家族を苦しめたその組織を
じっと見つめた。
触ると硬かった。
柔らかい彼の臓器に根深く居座って異質な色を呈していた。

この目で見て確かめたい。
それが彼の希望だった。




私が、見た。




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冬の雨は嫌い。
ストーブの前にうずくまって空を眺める。
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by 2pinoko | 2009-11-15 22:38 | 出会い。

大人になったら


ママは力持ち。

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「ぴのこちゃん、医局は決まったの!?」

「まだなんですよねぇ。」

「あらぁ。うちのパパも気にしてたのよ。ぴのこちゃんどうするのかしらって。」

「あ、でもパパのとこ、今年人気みたいですね、同期が何人か入りますよ。」

「いっぱい飲ませたのがきいたのかしら。」

「あはは!意外とそうかもしれませんよ、案外単純なものですから。」


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綺麗な円を描くのが難しかった。
何度も何度も挑戦して綺麗に円が描けたときはそれこそ有頂天になって母に見せびらかした。
綺麗な丸が描けることが成長の証だと思っていた、幼稚園年少組、4歳。


お蒲団をひとりでぶわっと広げることが課題だった。
端をもって腕を上げ、蒲団を広げ綺麗にセットする。
背丈が足りないとうまくいかず、一度下に布団を置いて四隅をそれぞれ直しに行かねばならない。
お蒲団をひとりで広げることができることが格好よく映った、幼稚園年長組、6歳。


背が高い6年生、大人のミニチュアでくだらないことで喧嘩などしないのだと思っていた。・
泣いたりなんてしないのだと思っていた。
登校班の先頭を歩く姉が、凛々しく妙に大人びて見えた、小学校1年生、7歳。


いつもちゃん付けで読んでいた近所のまぁちゃんも中学生になったら「先輩」と呼ばねばならなくなった。
それが嫌で嫌で、馬鹿らしくて、理不尽な押し付けと校則にうんざりしながらも反抗もできなかった私は運動部に入るのをやめた。
これが大人になることならばつまらないと心底思った、中学一年生、13歳。


高校に入学したころは大人に見えた3年生も
いざ自分がなってみたらやっぱり子供で
きっとこの先もこういうことがずっと繰り返されていくんだろうなとぼんやりと考えていた、受験生の夏。


姉は私の歳ではバリバリに働いていた。
毎週2人でで待ち合わせ。いつもごちそうしてくれた。
時にはお酒にも付き合わされた。
よく、服を買ってくれた。忙しい中お弁当まで作って私を送り出してくれた。
やっぱり彼女は大人だった。
そして私もそんな歳になっていて、その事実に少々驚く。
子供たちから見ればしっかり「大人」だし
それどころか「親」と間違えられたりもするし
一年生からすれば何をしても許されてしまう「6年生」だし
老けて(!)見えているのかも知れない。
結婚について考えたり、行きつけのお店がいつの間にか小料理屋さんやバーになっていたり
白黒付けることを避けたり、空を見ているだけで泣けて来たり
それでもちっとも大人になれた気がししない
再び受験生、の、秋口。
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by 2pinoko | 2008-09-08 00:48 | 自閉ちゃんと私。

バカの吉田


よく行くお店 ギネスを楽しみに 

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そういえば、飲みに行くことが本当に増えたなぁと。



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情動的・短絡的
根気がなく短気
変に格好つけたがり
ちょっと悪ぶってみるけれど「不良」にもなりきれず
虚勢を張ることで自己を保とうとする
それでも小さな妹たちにはやさしいおにいちゃん
これが、バカの吉田。
私は親しみをこめて彼をそう呼んだ。

吉田は小・中学校の同級生だ。



吉田は面白いことが大好きだ。
吉田は勉強が大嫌いだ。
彼はよく先生に怒られて涙目になっていた。
「どうしてもっとうまくやらないかなぁ、あんなことすればバレて怒られるのが目に見えているのに。」
一方当時のぴのこ少女は冷めた目で遠巻きに吉田を見る、どうも可愛くない子供だった。

しかし、どういうわけか吉田は私によく懐いていた。
懐いていた、なんてまるで犬か猫のようだが、つぶらな瞳で本当に、本当に、本当にどうでもいいことを私にいちいち報告しにくる吉田は、無邪気な(そして私にとっては面倒くさい)図体のでかい小動物、といったところであった。
(後に、俺あの頃ぴのこさんのこと好きだったんだよね、と告白されて、大笑いしてしまった。今思うと大変失礼なことをしたと思う。。。。)

中学3年生で吉田とクラスが一緒になった。
修学旅行の班も一緒。
班長の私は彼の自由奔放な行動の監視役といったところで
ちょっと、時間に遅れるでしょ!?早く早く!!ダメ、そこ入っちゃ、こっちだってば。
と文句ばかりだったのを覚えている。

秋になったころだったか、吉田とクラスメイトもう一人が真剣な顔で私の席までやってきてこう言った。
「俺ら、高校行きたいんだ、受からせて。」


このクラスの2大バカにまさか自分が勉強を教えることになろうとは思わなかった。
人に教えるのは嫌いではない、が、これは本当に骨の折れる作業だった。
まず、吉田は複数形のsと三人称単数現在形のsの違いを分かっていなかった。
因数分解を教えようにも、二乗の計算ができない状態であった。
学力的な問題はいい。
やればできる、今までやってこなかったからわからないだけなのだ。
問題は、彼らに集中力がないということ。
脱線しそうになると、私はよく教科書で頭を叩いていた、こらきけ!受かりたいんでしょ!?とね。

そんな甲斐あってかどうかは実際のところわからないが吉田は公立高校になんとか合格したのである。




これでめでたし、とういわけにはいかなかったのが、吉田らしいというか当に吉田というか。
せっかく受かった高校を、3ヶ月で中退したのだと風の噂で聞いた。
全く何のために勉強を教えたのか。まったく。
それきり吉田の噂は聞かなかったが、それが彼が元気でやっている証拠だと思っていた。


高校2年生のある日、突然家に吉田から電話がかかってきた。
(当時私は携帯電話なんてもっていなかったので)
突然何かと思えば何ともびっくりな相談であった。
吉田君、高校中退後県外へ出て就職、結婚、子供もできた。
しかしその子供の血液型を考えると、どうも自分の子供じゃない気がする、というのだ。
17歳の私にはこれまたショッキングな内容で
それは彼にとっても同じことで、俺、みのさんの番組に出られそう、と苦笑いしていたっけ。

それからというもの数か月に1度、吉田から電話がかかってくるようになった。
相談、というよりは、教えて!という内容が多い。

「俺、通信で高校卒業の資格取ろうと思って。」
「お、偉いね。がんばって。」
「でさ、課題わからないんだけれど~~~~~を説明せよ、だって。」
「ああ、それはね、~~~~~~だからだよ。」
「もう一回、ゆっくり。」
「ねえ、まる写しじゃなくてちょっとは自分で考えたら。」

「あのさ、英単語なんだけれど、○○○○の意味ってなに?」
「は!?そんなの自分で調べなよ。」
「わかんないからぴのこさんに電話してんじゃん。」
「辞書買え!」 

「あのさ、もうすぐ卒業できるかも知れない。」
「おお!じゃあ頑張って。」
「だから課題やって。」
「・・・・・切るよ?」





数ヶ月前にメールが来た。
高校の卒業証書の画像が添付してあった。










今でも相変らず吉田からの連絡はあって
ここ数年は風邪ひいたらどうしたらいいだの、白血球が増えたから白血病かな!?だの
そんなのばかり。
電話を切る時はまったく、と思うのだけれど
元気な声を聞くと私も安心するのである。


たぶん、そろそろ、バカの吉田から電話がかかってくる時期だ。
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by 2pinoko | 2008-06-03 18:26 | つらつら。

節分

我が家の節分は父の居ぬ間に行われた。
というか、父がまともな時間に帰宅していることなどなく
「お父さん帰ってこないけれど、鬼は外、やりましょうか。」
という感じで、豆まき行事は決行されていた。

母が用意した大豆に、ブロックチョコレート
これを家じゅうに、庭に、犬小屋に
福はうち!福はうち!
と言いながら、順々に。
父不在の豆まきなので、鬼は外!はなし。
豆とチョコレートを拾って歩き、歳の数だけ仏壇にお供えする。
平凡な豆まきの風景だった。







今日も父の帰りは遅いのだろうか。
母はいまだに一人で豆まきをしているのだろうか。
そして、やっぱり「福はうち」だけなのだろうか。




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「ぴのちゃん、買ってきたよ、豆。」

家を出てからも、豆まきを欠かしたことはない。
掃除の煩わしさを思うと控えめにそっと置かれる大豆たち。

福は うち。
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by 2pinoko | 2008-02-04 06:02 | こんなことがあった。

聞こえる




久しぶり♪
これから国家試験に向けて忙しくなっていくと思うから
今のうちにみんなですぐ連絡できるようにメーリス作ろうと思うんだ。
あとでYahooからメーリス関係のメール行くと思うからヨロシク





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うしゃ!一発目送ったる!
佐藤のナイスな提案で始まったよ、この企画!みんな元気してる?
どんな話題を送ればいいんだろうか?
とりあえず大掃除したんで、みんなの受け入れはバッチシだ!
いつ来てもいいんで!
ウェルカムよーこそー××へ~♪(SMAP!)





メーリングリストのアドレスを見て吹き出してしまった。
らしい、そう、私たちらしい。
その後いくつか続くやり取り、ふふ、みんな相変わらずだなぁ。
「なにニヤニヤしてんの?」
「ごめんごめん、ちょっと面白いメール続いてて」


一本の糸につながる。







おっ★みんなちゃんと生きてるな♪いいぞいいぞ!
何か3月に集まれるんじゃないかという匂いがしますな。
ちょい計画しますかな。

山田さん、頑張って!終わったらまた鴨ビールですな!
鴨焼酎もありですぞ!

ぴのこねぇは今頃人波に流されて、○谷あたりでしょうか?

団長はもう終わったかな?やっぱり静岡に残る流れでしょうか。
茶!みかん!エスパルス!

Wは今頃地元かそっちか、はたまたひひょっこりひょうたん島か、といったところでしょうか?
今年の直木賞にはノミネートされましたか?

佐藤は外国いっぱい行ってるかい?
パツキン美女やラテンなギャルは如何様ですか?

代々木は何気にちょくちょく会ってます。
何しろ今や地元が一緒(笑)!
石○井公園のスワンボートに今度2人で乗ろう!








そんなわけで7人、元気、な様子。











ではでは、メリークリスマス!








ちょっとケーキを食べすぎて、摂取カロリーが心配なところ。
クリスマスソングじゃないけれど
急に聴きたくなってね。
全力疾走の前の充電、充電。


メリークリスマス!




鐘が鳴る 鳩が飛びたつ
広場を埋めた群衆の叫びが聞こえる
歌を 歌をください
陽が落ちる 油泥の渚
翼なくした海鳥のうめきが聞こえる
空を 空をください

歩み寄る 手に手に花を
歳月こえて壁ごしに「歓喜の歌」が聞こえる
夢を 夢をください

こだまして 木々が倒れる
追われて消えた野の人の悲しい笛が聞こえる
森を 森をください

時代が話しかけている
世界が問いかけている
見えている 聞こえている 感じている

だけど なにもできないこの部屋で
膝を抱えてひとりうずくまっているいらだち
教えてくださいなにができるか
光っている道を心ひらいて歩いていきたい
なにができるか 教えてください



                            『聞こえる』

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by 2pinoko | 2007-12-25 00:56 | 出会い。

Last Night I Had The Strangest Dream


      
     子供だった。
    
     それは幼稚園の父親参観日だった。

      

 
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幼稚園バスからおりたら、まず裏の林に遊びに行った。
山の中にあるという、珍しい立地で、毎日木の実を探したり、泥団子を作ったり
野うさぎを見つけたり、木に登ったり
とにかく腕白の限りをつくした幼稚園時代だった。



そして、その頃の日曜日と言えば、病院とカセットとイタリアンだった。


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毎週家族4人で新宿のJR病院に向かった。
祖父の見舞いだった。

祖父との思い出は少ない。祖母に至ってはほとんどない。
一緒に動物園に行って私が迷子になったこと(私はよく迷子になった。周囲の物に気をとられていると気がつけば自分1人になっていた、ということは少なくない。おまけによく溺れて死にかけた。水が嫌いにならなかったのが不思議なくらいである。)
私が母に叱られて泣いていると壺から黒飴をだしてこっそりくれたこと、
そして両親が病室にいないと私たちに嗄れ声でマーゲンチューブにビールを流し込めと言っていたこと、
これが祖父について私が覚えている全てである。

小さな私に死という実感はなかった。毎週おじいちゃんに会いに行く、それだけなのだ。
日曜日は家族そろって出かける珍しい日、車の中でビートルズとサイモン・アンド・ガーファンクルが流れる日、そしてイタリアンレストランに行く日、だった。

日曜日の車の中では必ずビートルズとサイモン・アンド・ガーファンクルがかかっていた。
私はHe Was My Brother が大好きだった。母は「変わった子ね」と言った。
カセットを聴きながら必ず帰りに寄る店があった。国道の下の、地下にあるイタリアンレストラン。
照明は落とされており、各テーブルの上には太いローソクが置かれていて
この溶けた蠟を剥ぐのが私の毎週の楽しみだった。
大きな塊を細心の注意を払って、とる。
剝ぎとった蝋は大切に紙ナプキンに包んでポケットにしまった。

父も母も、もちろん私たちもよく食べた。
一度4人で13皿注文し、店のシェフに心配されたこともある。
4人とはいえ2人は小さな子供だ。今にして思えば、よく食べられたものだと感心してしまう。
ここのイカスミとロブスターが最高に美味しかったのを覚えている。


日曜日は祖父の見舞いの日。
だけれど、私は毎週のこの日が楽しみだったのである。
家族の揃う、お出かけの日だったのだ。




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舌癌術後の患者さんを受け持った。
祖父と同じ、大酒のみの、愛煙家。

CDを借りに行った。
久しぶりに聴いた He Was My Brother
自分は音痴だと信じて人前で歌うことのない父だけれど、若者たちと The Sound Of Silenceだけは口ずさんでいたっけ。

味わえなくてもいい、チューブにビールを入れて欲しいと言って父に怒られていた祖父。
ベッドサイドにいる私はあの頃と同じ。

父はどんな気持であのカセットを聞いていたのだろう。
日曜日だけ 繰り返し 何度も何度も




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最近は、昔のことをよく思い出す。
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by 2pinoko | 2007-10-31 01:24 | つらつら。

ジュースのみてえ事件


      「あっつい   あっつい」
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これは小学校1年生の頃の話。


私の実家は小高いところにある。
7歳の子供にとって学校から家までの道のりはとてつもなく長く辛いものに思えた。
ギラギラ光る太陽の熱はアスファルトでその威力を増し
より一層「歩いて帰宅する」気力と体力を奪い去った。
今歩けばたった20分程度の道のりを、2倍も3倍もかけていたのだから
大人に比べて2倍、3倍道中の冒険があったわけだ。


その日は暑かった。とにかく暑かった。
通学路を歩く黄色い帽子の子供2人。
元来怠け者の私たち、この日は特に「歩いて」帰ることが嫌だった。
ゆっくりゆっくり歩きながら、偶然自分たちの母親が車で通りかかって
拾って帰ってくれないかとか、そんなことばかり考えていた。
どうにかしてこの暑さと上り坂を回避できないものか。


 「あープール入りたいよお」
 「あっついよお」
 「ジュースのみてぇ」
 「アイス食べたい」
 「冷たいもの食べないと死んじゃう」
 「アイス!ジュース!」


ぎゃーぎゃーぎゃー。 
子供2人、ふらふらこんなこと叫びながら歩いていれば人は見過ごせないものか。
  「おら、これやるから。」
通りかかった工事現場のおっちゃんが、近寄ってきて差し出したのは200円。
一人100円。


私たちは呆然として遠ざかっていく軽トラックを見送っていた。
あまりのことでお礼を言うのも忘れていた。
かくしてピカピカのランドセルを背負った子供2人は水を得たわけだ。
都合のいいことに近くには駄菓子屋さんがある。
7歳の子供にとっては名札の裏に電話賃として潜める10円硬貨でさえ尊いものである。
100円もあればお菓子がどれだけ買えるだろう。
あんなにも拳に握り締める100円に輝きを感じたことはなかった。






その100円で私たちは何を購入したのか。

ジュースだったのか、アイスだったのか。
当時のジュースはまだ100円で購入できた。
が、アイスなら60円のものなら2人で3つは買える。
それともアイスとお菓子を組み合わせたのか。
もしくは悪知恵を働かせてそのお金で
「お母さん!死にそうだから迎えに来て!」
とレスキューコールを入れたのか。

実は、キラキラ100円硬貨を何に使ったか覚えていない。
覚えているのは100円を手渡されたところまで。
  
自分たちの文句たらたらに対して
見知らぬ強面のおっちゃんがお金を恵んでくれたことが可笑しくて
私たちの間では『ジュース飲みてえ事件』として
2人の共通の、しかも強烈な思い出として残ったのだ。







暑い日が続く。
特に手術室に手洗いで入ると蒸して暑くて。
術用ガウンを脱ぐと、手術着が背中に張り付いた。
休憩時にアイスを買ってボーっと外を眺めるのが最近の日課。
MOWが美味しい。ということに気がついたり。
さっぱりしたいときはスイカバー。



今日は pino をつまみながら 思い出した 
     『ジュースのみてえ事件』
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by 2pinoko | 2007-05-29 22:18 | つらつら。

自閉ちゃんと私

やっぱりママの隣が一番。
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みんな、ママが大好き。



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私のめんこちゃんが卒業していきました。

めんこちゃんと私との出会いは3年前に遡ります。
初めの顔合わせはほんの数十分。
私のローテンポな話し方が彼を安心させたのか、すぐに懐いてくれましたが、お母さん曰く珍しいことだったんだとか。
その次は川原の水道で遊びました。
水を高く出してはとめて、逃げては出して。
水溜りの上の石を次から次へと飛び跳ねてぐるぐるぐるぐる。


私のめんこちゃんは言葉を持っていました。
持ってはいたけれど、もちろん会話ができるわけではありません。
自分の気持ちを正確に相手に伝えることが出来ずに苦しむ彼らです。
私は隣で思いつく限りを言葉にしました。
少しでも彼の助けになるように。
ものを指差して、いちいち名称を声に出して言う。
そして、それがどんなものか理解してもらおうとする。
楽しいときは楽しいと、冷たいときは冷たいと、痛いときは痛いのだと
気持ちに思いつく限りの言葉をのせました。

私のめんこちゃんは、嫌だと言うことが出来ませんでした。
自分のおもちゃを取られても取り返すこともしませんでした。
悲しそうにしているのに、それを言葉に出来ない、行動で表せない。
初めの1,2年は『だめ、それ僕の』を言えるようになるのが目標でした。

私のめんこちゃんは、数字と文字が得意でした。
車も大好きで、F1に関連してか国旗も得意でした。
よく文字遊びをしました。
数字を使って勝負もしました。
ムシキングもお得意。
虫の名前はもちろんのこと、原産国と全長まで暗記しているほどでした。

私のめんこちゃんはよくこんにゃくマンになりました。
不満な気持ち、つらい気持ち、悲しい気持ち、そんなものがどっとやってきて
こんにゃくマンになってしまうのです。
にゃくにゃくが到来するとさぁ大変。
また来たかぁ、こんにゃくマンめ。
でも、そんな彼が愛しかった。
よし、おねえちゃんと負んぶでかえろぅなぁ。
背中から伝わるめんこちゃんの体温が愛しかった。




あれから3年。
彼はお友達と遊べるようになりました。
コミュニケーションを取れるようになったのです。
拙いながらも、自分の胸のうちを言葉で表現するようになりました。
最近では足し算、引き算も出来るようになってきました。
自分を主張するようになりました。
ずるをするようにもなりました。
所謂、健常の子供が全く当たり前にやってのける一つ一つが
私たちにとっては大きな感動と喜びで
そうか、嘘がつけるようになったか、なんて嬉しくなってしまったりして。




前にも一度書いたことではあるのですが
私は自閉症を障害だと思っていません。
もちろん、この現代社会で生活する上では彼らの生き方は困難が多々あり
言葉がないこと
こだわりが強いこと
変化を極端に嫌うこと
協調性に欠けるところ
これらはすべて『障害』となります。
(もちろん個人差は大いにあります)
しかし、私にとっては目の前にいる子供は「自閉症児」ではなく
「その子」そのものなのです。
私の中にはくくりがない。
私だって言葉に出来ないことがいっぱいある。
変なところでこだわってばかり。
安定したところにずっと落ち着いていたい。
人に合わせるのは苦手。
これは程度の問題。
私は健常者、あなたは自閉症、そんな風にカテゴライズして考えたことがないんです。
まるでアイデンティティのように捕らえている部分が私にはあります。

だから、時々外部の方に『障害児』と言われると
お、そうだったのか!なんて思ってしまうのです。


そんな私ですから
「自閉症の子供といかに遊ぶか」なんて気にしたことがありませんでした。
常に「めんこちゃんと楽しく遊ぶにはどうするか」を考えてきました。
「めんこちゃんに私が何を教えられるか」「私がめんこちゃんの助けになるにはどうすればいいか」
そうやって過ごした3年間でした。

多くのことをめんこちゃんに教えられました。
私が彼を助けてあげるつもりだったのに
最終的に救われたのは私のようです。






写真をもらいました。

めんこちゃんと初めて出会ったときの写真でした。

ぽんと踏み出そうとするめんこちゃん
後ろで手を出して支え、笑いかけている私。

宝物です。






卒業おめでとう。

最近忙しくして、淋しい思いさせてごめんなぁ。
これから辛いことも悲しいこともあるだろうけれど
あなたは芯の強い子です。
きっと乗り越えていけるよ。
ママも、ぴのこちゃんも応援してっからなぁ。

また一緒に遊ぼう、待っているから。
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by 2pinoko | 2007-03-28 15:56 | 自閉ちゃんと私。

脈絡もなく 思いつくこと 思い出すこと

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1週間のノルマ。
今回は378ページ。
終わるかなぁ・・・・。

アカシアの香りに誘われて
夜中に徘徊することもなくなりました。
今年こそアカシアの天ぷらを作ろうと思っていたのに
結局思っていただけで終わってしまった。



私はワインが好き。
一昨日は1本空けてしまいました。
美味しいチーズとお家からかっぱらってきた美味しいワイン。
昔は甘いものでなければ飲めなかったのに
最近はもっぱら辛口。
ウイスキーにビール。
下降型スパイラルにはまらない為にはお酒が1番。
そして酔いつぶれることがないからこれが出来るのです。

でも どうしてかな やっぱり一人でお酒を飲む気にはなれないなぁ。




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水玉模様のグラスと牛乳

ヤクルト

綺麗にたたまれた包装紙とリボン

ふくろう



色のついた眼鏡

虫眼鏡

琥珀

毛糸の帽子



壁を埋め尽くす本棚

孔子の思想

聖書と聖歌

なますとアンパン




それが、思い出。
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by 2pinoko | 2006-06-09 00:52 | こんなことがあった。

皐月


新緑の色 生き生き

ピンクや白の ハナミズキ

かすかに揺れる 藤棚の花

走ると風に乗って アカシアの香り

桑の実が熟れて黒くなる




この季節が一番好きだった。

自分の1番好きな季節に
大好きな友達大勢呼んで
誕生日会を開いてもらった。
小学生の頃の話。

みんながお家にやってくるのが それはそれは楽しみで
テーブルを整えてみたり くじをチェックしてみたり。
お母さんにはタラコスパゲティを注文した。
それとフルーツサラダ。ロールキャベツ。
ケーキとお菓子。
スパゲティが好評で 褒められるたび私は嬉しかった。

プレゼントは大抵サンリオのグッズ。
消しゴム ノート 鉛筆 シール コップ ぬいぐるみ
かわいいものは最後まで使うことが出来ず 未だにもっていたりする。
今となってはこのキャラクターノート 何に使ったらいいのかしら・・・。

お腹いっぱいになったら 外に出て
木に登ったり 走ったり 桑の実とったり
大好きな季節に 
大好きな友達に囲まれて
楽しくて 楽しくて 最高に幸せな1日だった。


誕生日って 大好きだった。











携帯が使いこなせない私は
メールひとつ返信するのも一苦労で
いっそこんな機器なければいいのになんて思うこともあるのだけれど
あの頃の仲間と連絡を取れるのも携帯のおかげ。


皆がね おめでとうだって。


今はもう ドキドキワクワクな誕生日でもないし
むしろ歳なんてとらなくていいのだけれど
やっぱり誰かがわずかな時間でも自分のことを想い
おめでとうを言う手間をとってくれたことを思うと
嬉しいものです。

慣れない手つきで 一人一人返信。

ありがとう。
久しぶりだね。
お仕事はどう?
研究はうまくいってる?
今度会いたいね 久しぶりに。







こんな風に 今年も またひとつ 歳をとりました。
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by 2pinoko | 2006-05-11 17:20 | こんなことがあった。