カテゴリ:つらつら。( 71 )

生れてました。

もうすぐ出産ですと予告しておきながら
そのまま放置で半年以上経過・・・・。
ああ、春が来てしまったと思っているうちに、もう夏です。

放っておくにもほどがある。

写真は梅です。
季節感無視。

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結局陣発しても出てこなかったため
今回も腹切りとなりまして
無事にチビが生まれました。
腹を切られる運命だったようです。

今回は夫に手を握ってもらって、雑談しながらのオペっていう
とても斬新な感じでした。
いろんな病院で働いてきましたが、こういうのは初めてですね。
自分の子宮縫われながらカンガルーケア+初回授乳とか考えもしなかったですよ。
カイザーだけど、全部直母ってのも初めてでした。まあ出るからいいけど。
術後の疼痛はそりゃつらかったのですが(だってエピ挿れてくれないんだもん)
無事に出てきてくれてよかったよかった。

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保育園落ちた日本死ねから始まり
育休不倫だの、都知事選だので最近話題になる「子育て」について。
いろいろ語りたいところなのですが
もうね、時間がない。
唯一書き込む時間のあるような夜のこの時間には
もうそんな体力も残っていない。今日はね、頑張ってます、でもそろそろ限界。

次男が1か月になってから仕事を再開し、だんだん量を増やしていって今に至ります。
フルで働いて、当直もオンコールもやっています。
協力してくれる夫の力が大きいのと、融通のきく保育園の力が大きい。
感謝感謝ですね。

保育園の問題については本当にわが問題なので
語りたいことがいっぱいですよ。
もちろん近くの保育園は認可もそれ以外も入れませんでしたので
結局職場近くの認可外保育園に入れてもらい、こどもを連れて毎日出勤しています。
保育料は「これ、家賃ですか?」な額ですが、融通もきくし熱出ててもみてくれるし(たぶんこれは私が小児科医だからじゃないかと思うのだけど)
何よりサービスが良いので我々親の負担が少ない。
こどもを安心して預けられるので、とても気に入っています。
うちの近くにも、こういう保育園できてくれないかなぁ。


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というわけで
仕事と育児でぐったりしてますが
何とかやってます。


ぴのこ
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by 2pinoko | 2016-07-21 23:00 | つらつら。

10年目

大変ご無沙汰しております。

仕事復帰してまったく余裕のなかった半年間。
世の働くママというのは本当に大変ですね。
何だが、生きるのに必死な数ヶ月だった気がします。

まほろま。を始めて実は10年半になります。
こちらに移動してからは8月で丸9年でしょうか。
組織と骨のスケッチに泣かされていたころからもうそんなに経ったかと。
毎年8月には「まほろま。」●周年に思うこと なんてのを書いているのですが
今年は以前から思っていた以下の2点について綴ってみました。
もう9月ですけれどね。

・女性医師の出産について
・保育園に通う子どもはかわいそう?




【一女性医師の出産】
私の場合、異動前から妊娠していることが分かっていました。
悪阻で体調不良が続く中、通勤に2時間もかかるような病院への異動が決まったことについて
前の職場の看護師さん達は憤慨していましたが
医局人事とはそんなものです。
私が抗議すれば何か違ったのかも知れませんが
わかった上でのこの人事なのですから・・・何も言えませんでした。

私のように医局人事にのっかっている若手の医師は
数か月~1,2年で異動となります。
そのたびに健康保険が変わり、給与も変わり
時には常勤で働けたり、病院によっては非常勤勤務だったり
コロコロ変わるのでそれに伴う手続きは毎回大変面倒です。

小児科という科の特性上、女性医師が出産や産休・育休を取得する際に否定的なことを言われることはありません。
「どうぞ好きなだけ休んでください。そして、好きな時に復帰してください。」
そうは言うものの、産休に入っても自分のポストを空けて待っていてくれるわけではありません。
自分の代わりの医師を補充するために、産休=退職という扱いになります。
そのため夫の扶養に入ることになるので、出産一時金は夫の健康保険から支給してもらうが、「扶養家族」であることから、もちろん休み中の手当や保証はない
というのが、今まで出産されてきた女性医師の流れでした。

しかし私の場合、そうするわけにはいきませんでした。
事情があって夫が働いていないため、夫の扶養に入ることはできませんでした。
産休=退職では困るのです。
健康保険の任意継続では出産一時金の支給は受けられず(勤続月数が足りません)、産休や育休中の生活の保障は何もなく
どうしたらよいものかと途方にくれました。
女性の医師がこれだけ増えてきている中、働く女性として出産や育児に関する「制度」を利用できない方がほとんどで
しかもそれが当たり前になっていることに疑問を感じました。
医局にいればそれは仕方のないことなのでしょうけれど・・・・。

結局、異例ではありましたが
私は退職ではなく、現在勤務している病院で「産休」をとることができ、ほんのわずかな「育休」を取得して、仕事に復帰しました。
常勤ではないのでお休み中はもちろん無給でしたが、健康保険を継続出来たお蔭で一時金や手当金の支給もあり、かなり助かりました。(育児休業給付金は勤続月数が足りず受給できませんでした)

女性医師が増えているため、復帰後当直が出来なくなるケースも増えています。
そんな中、当直やオンコールに支障が出てくると文句を言われ
それでも女性の出産や育児に寛容であるとアピールする医局の姿勢に、うんざり。
復帰後の働き方とか、環境とか、まるで整っていないのですが
これで「女性に優しい環境」だと思っているのですから・・・・・。
復帰後すぐ当直の復帰をお願いされましたが、さすがにそれは断りました。
夜間数回授乳が必要な時期なのに、当直が可能だと簡単に思ってしまうあたり
自分たちは忙しく働いて、子育ては配偶者に任せきりにしてきた男性の発想です。(小児科医なのに・・・)
そんな人たちが考える人事や労働環境が、本当に「働きやすい」わけがない。
何もかも、ぐったりな妊娠・出産でした。
比較的妊娠・出産に理解のある小児科でこれですから、他科ではもっと大変なのでしょうね。

そもそも大学病院に勤務していれば完全に無給ですし、「産休」自体とれる立場にいないので、私は恵まれていたのだと思います。(といったら、それが当然なんだから恵まれているとか思っちゃいけないと非医療関係の友人に怒られましたが。)

子育てをしていれば何もかも許されると思っているわけではありません。
こちらも周りに迷惑をかけることは大変心苦しいのです。
でも、女性医師が増えてきているなか、周りでサポートするしかないし
出来るような環境にしていかなければならない。
全く環境が整っていないマンパワー不足の中、子育て中の女医が復帰したら
そりゃ無理も生じます。問題も起こります。

復帰後も往復4時間弱の通勤時間は変わらず
朝は5時台に家を出る生活に慣れるには時間がかかりました。
世のママは皆そうなのでしょうが、家に帰ればそれだけでぐったり。
私は無理をしましたが、今後産休・育休から復帰する後輩は
もっと働きやすい環境で復帰できればいいなと思います。


【保育園に預けられたこどもはかわいそうなのか】
産休中も復帰はいつからかと催促の電話やメールが続き
早々の仕事復帰をすることになってしまいました。
そんなわけで、わが子の預け先を探さねばなりません。
しかし、これが大変。
待機児童が問題になっていますが、保育園に入れるためのママたちの努力はすごい。
認可保育園というのは日中育児のできない理由や家庭環境などにポイントを付け
その合計ポイントが高い順に入園が決まります。
そのため事前に情報を集め、行動し、ポイント稼ぎをするのだそうです。
「保育園に入れないなんて、そもそもママの努力不足。きちんと事前調査して、対策すれば入れないなんてことはないのよ。」
と言ってのけるママもいるんですよ。
もーそれきいて、私は「は!?」と思ったわけですが。ついていけないわ~
普通に必要書類をそろえて提出するくらいしか私にはできませんよ。

認可保育園の申し込みは書類が多く、これまた大変面倒だったのですが
きっと無理だろうなぁと思いながらいくつかの園の申し込みをし
案の定すべて入園不可でした。
それを見越して認可外の保育園に事前に入園申し込をするようなので
4月入園の希望で1月から探しましがた、全滅。定員15名のところキャンセル待ち60人と言われ、まったくやる気をなくしました。60人て・・・・。
あきらめかけていた所に、1月末から募集を開始する保育園を見つけ、2次募集で運よく認可外保育園に入園が内定しました。
うちは運が良かっただけなのですが、本当に世のお母さんたちは大変なのですね。

息子を生後3か月で預けることに、抵抗がなかったわけではありません。
感染のリスク、日中授乳できないこと、子供との時間が少なくなること・・・
もちろん不安はありました。
でも、保育園って中途入園は難しいんですよ。
大抵4月で定員が埋まるので
申し込みしても、空きが出るのを待たなくてはなりません。
いつ入園できるかわからない=いつ復帰できるかわからない では困るのです。

よく、お母さんたちに「いつから保育園に預けてもいいんですか。」と聞かれます。
「早くから保育園に預けるのは風邪とかもらうし怖くて・・・・」
じゃあ、いつからだったら安全なのでしょうか。
6か月?10か月?1歳になったら?
いつだって感染のリスクはあり、絶対安全な時期なんてありません。
保育園に通い始めて1か月近くは感染を繰り返し、まともに通園できない子供は多く
そんな子供たちを外来で診ている身としては
「いつだって結局同じ」です。

もう熱が出たら入院してもらえばいいやと、子供を保育園に通わせることにし
私は仕事に復帰しました。

保育園に預けてよかったこと。
・息子は、自宅にいるより遥かにたくさんの刺激を受けているのがわかります。子供の社会性発達に大いに影響を与えています。
・自宅では育児だけをしているわけにいかないので、彼の発する信号をわかっていながら相手にできないことも多々あるのですが、保育園ではすぐに反応し、対応してくれます。
・家庭、育児、仕事にメリハリが付くこと。私自身が気持ちを切り替えられることで育児のイライラをぶつけたりすることもないですし、一緒にいる時間を大切にするようになりました。

だんだんと、預けてよかったと思うようになりました。
そして、息子は熱を出すこともなく、いつもご機嫌で元気です。
ママ想いだなぁ、私の移行抗体がなくなったであろう今でもとても元気な息子に助けられています。
そして、夫にも感謝です。
保育園の送り迎え、料理・洗濯。忙しい中、彼が育児も家事も手伝ってくれるからこそ、何とか仕事が出来ています。

保育園に預けていることに対して、たくさんの人に「かわいそうに」と言われてきました。
電車で一緒になったおば様、散歩で出会う奥さん、そして実母やお義母さんにも。
「保育園なんかに預けて大丈夫なの?」
「まだまだお母さんの手元にいる時期なのに」
「幼稚園までは親元にいるものでしょう?」
皆一様に声のトーンを落として、顔をしかめていうのです。

「保育園に預けられてかわいそう」
本当にそうですか?少なくとも、私は息子のことをかわいそうだとは思いません。
多くの家庭とは違ってママと一緒にいられる時間は少ないかも知れませんが
私に申し訳ない気持ちはあるものの、彼が不幸だとは思っていません。
朝起きてから登園するまではパパが一緒に遊んでくれ、
保育園で多くのことを吸収し、
私が帰れば満面の笑みで出迎えてくれる息子をみて
そうかそうか、今日も楽しく過ごせたのね と嬉しく思います。
働くママの姿を誇りに持ってもらえるように
我が家は我が家の子育てをすればいいと思うようになりました。

幼稚園まで子供を集団保育には預けない、専業主婦として子供のために家にいる。
そういう家庭もあります。それも良いと思います。
人の子育てに口出しする輩は多いですが
とやかく言う人は大抵皆無責任な発言をするものです。
実際に子どもに向き合うのはパパとママです。
子どものことを一番愛し、理解しているのもパパとママです。
色んなスタイルがあって、その家庭に合ったやり方で子育てしていければよいのです。
よく外来で育児相談をされるのですが、
そんなお母さんたちには「正解なんてありません」とお話ししています。
そのお子さんに合った方法を一緒に考え、アドバイスし、試行錯誤してもらう。
どのお母さんも必死です。

「人の子育てを笑うな。」

どこかで見たセリフですが、まったくその通りだと思いました。



以上、ママデビューをして数カ月。
私の思うこと。
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by 2pinoko | 2014-09-16 19:15 | つらつら。

流浪

今週を乗り切れたから
きっと来週も大丈夫

徹夜やタクシー帰りが続いても
それが「当然」の世界に生きているのだから
ほら、今週も乗り切った
そう思うと明日からも頑張れる気がする。

県をまたいで外来や当直と練り歩いている。
自分の病院に帰るとまたアラームが鳴り響き
この子のために今出来ることを考える、今出来る最善の治療をする。

家に帰って旦那君の顔をみてほっとする。
今日も現実に帰ってきたと思う。

最近、機嫌が悪くてごめん。
部屋が汚いって文句言ってごめん。
洗濯物もゴミだしも日曜日のご飯も作ってくれているのに。
今日の朝ごはんつくって、送り出してくれてありがとう。
日当直頑張るよ。



夏が終わったと思ったら
もう冬なんだ。
時間がたつのは早い。
何かにおいていかれた気がして
大事なものを忘れている気がして
帰る所のない私は

急に怖くなった。
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by 2pinoko | 2011-12-04 13:51 | つらつら。

秋の夜長


この時間に家に帰れるのは幸せなんだと思う。

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余裕がないと、思う。




お久しぶりです。
元気にしてますが、あまり元気とも言えず
正直なところよく体調は崩しているし余裕がない、と思う。

ずいぶん前回の記事と空いてしまったのは
更新するほどの暇さえなかったわけではない。
仕事や睡眠やたまにもらえる休みのイベントが優先されてきたから。
自宅のパソコンの前にちゃんと座るのも2.3か月ぶりだ。
気が付けばまほろま。7年半、こちらに越してからは6年目です。


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久しぶりにこうやってつらつら綴っているのは
このやり場のない気持ちをどうしたらいいかわからなかったから。
昨日も当直だった。

辛い出来事があった。
たらればを言い出してもきりがない。
その時の状況と瞬時の判断がすべてだから。
誰にとっても困難な出来事だった。
自分が誠意をもって全力で治療にあたっていても
悲しい結果になることも、その気持ちが伝わらないこともある。
敵意と不信感いっぱいのご両親を前にして

ただ、悲しかった。

そしてまた、たらればと反芻する。


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今日は月が見えない。

写真は夏の花火。
もう「夏」が過ぎ去ってしまった。
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by 2pinoko | 2011-10-17 19:46 | つらつら。

これから



いくつかご報告があります。


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まず、ずっと悩んでいた進路ですが
小児科医として歩んでいくことを決めました。
以前から考えていた外科系から内科にしたのは
cureよりcareに興味を持ったことが一番の理由です。
学生時代ずっと自閉ちゃんと過した日々もこの選択に大きく関わっていると思います。

医者としても、小児科医としても
まだまだ未熟者ですが
自分で決めた道に責任を持って頑張ろうと思います。
小児科医、ぴのこ。
医学生ぴのこから始まり
研修医ぴのこになり
4月からは小児科医ぴのこです。
何だか不思議な感じがします。
これからもぴのこ、まほろま。をよろしくお願いいたします。



そして、報告をもう一つ。
先日無事、結婚式を挙げることができました。
関係者の皆様、何から何までお世話になりっぱなしで申し訳ない。
お陰でとても楽しくて幸せな一日でした。
心から、ありがとう。

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3月11日、地下の細菌検査室にいた私は尋常ではない揺れを感じ、あわてシャーレを押さえました。
何かとんでもいことが起こった。そう思いました。
その日の当直は、救急外来の受診者は少ないものの
未明まで帰宅できない患者さんや職員で外来はごった返しており
大きな不安に包まれた一夜でした。

私は医学部6年間、雪国で過ごしました。
東北にいる同期に電話をしましたがつながらず
とにかくメールだけを送って彼らの返信を待ちました。
地震から2,3日後、やっと皆の無事が確認できて
ほっとして涙が出ました。
仙台も、石巻も、気仙沼も、盛岡も、八戸も、茨城も、日立も
「皆、無事です。」
ほっとしましたが、その後の報道を見るたびに今も彼らが電気もガスも止まり
物資も足りなく不便を極める中激務にあたっていることを考えると
何も出来ない自分が情けなかった。

震災から2週間後に挙式を控えていた私達は
式を中止するつもりでいました。
余震、交通の混乱、物資の不足、原発も問題もあり世の中が漫然と不安に包まれている中
とてもお祝いのムードではないと思ったのです。
そう思って東北にいる彼らに連絡を取ったのですが、逆に喝を入れられてしまいました。
「こんなときだから、ちゃんと式、挙げてきなさい。それで、ちゃんと報告しなさい。」
「俺たちはいけないけれど、お祝いしてもらっておいで。」
「みんなちょっとずつ何かを我慢して過ごしているんだから、明るい話題を提供してきなさい。」

東北にいる友人たちの言葉に後押しされるような形で
予定通り結婚式を挙げさせていただきました。

幼少時からお世話になっている幼馴染のお母さんのお店に御支度してもらって
幼馴染含め多くの友人にお手伝いしてもらって
規模は小さな式でしたが、特別な1日になりました。
たくさんの良き友人たちに囲まれて、私は本当に恵まれていると思います。
ありがとう。
震災後からあまり見られなかった皆の笑顔が見られて
私も嬉しかったです。

震災の影響で会えなかった友人が
今も被災地で激務の中にいる同期や先輩、後輩たちが
被災地で避難生活を送る皆様が
心から笑って、安心して生活できる日が一日でも早く来ることを願っています。
一医療者として、一人の人間として
私のできることをしていきたい。


***************************************************************



こぶしの花が咲いたよ。
風の香りが変わったよ。
今日はとても暖かかった。
公園で食べたチョコパンが、とてもおいしかった。
桜が咲き始めたんだって。

春が、来たよ。
春だよ。
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by 2pinoko | 2011-04-07 00:34 | つらつら。

Do not think about it.

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本日4錠目のロキソニンを口に入れた。
病院では必ず胃薬と一緒に飲んでもらうけれど
自分じゃぺろんとNSAIDsだけを飲み込む。

こういうときは女であることを呪う。



医療って何だ、とか
家族って何だ、とか

優しさだとか
甘さだとか

1年後とか
10年後とか

あなた、とか
私、とか

とか、とか、とか・・・・。
結局分類することもできずいっしょくたにして保留。
論は結ばず。






今年の春はちょっと違う。
冷たい風に時折混ざる春のにほひを楽しみに、その歩みを感じていたものだったけれど
気象予報士が笑顔で告げる春一番が私の「合図」になってしまった。
ロングコートはもう着ない。
セーターもクリーニングに出そう。
マフラーも手袋もいらない。
そうだね、春が来てる。

もうちょっと暖かくなったなら
お弁当作って出かけよう。
五感で春が感じられる場所に行こう。





内科6ヶ月:終了
外科系6ヶ月:もうすぐ終了
苦手な救急も何とか乗り越えた。

4月からは姉夫婦の近くの病院に異動。
甥っ子かまいに、ちょくちょく顔出しに行くつもり。
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by 2pinoko | 2010-03-15 22:45 | つらつら。

Don`t make yourself spoilt.


新年明けましておめでとうございます。

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年が明けた瞬間、胸水を用手的に抜いておりました。
そして2009年と変わらず怒鳴られておりました・・・。

昨年は多くのことが大きく動いた1年でしたが
2010年もそれは続くのだと思います。


2010年は

・健康に過ごす
・納得のいく進路決定を
・信じてみる、動いてみる
・後回しにない


上記の目標でいきます。




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この時期になれば山が恋しくなって
同期に山に行こうと声をかけまくっておりますが
なかなか実現できずにおります。
春になる前には山に登りたい。
雪景色を見たい。

今月はばたばたしてますが
3日に1回当直の生活ではなくなったため
だいぶ時間感覚が戻ってきました。
残りは外科タームです。



さて。これからが勝負。





本年もまほろま。
よろしくお願いいたします。



                                  2010年   ぴのこ
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by 2pinoko | 2010-01-10 08:54 | つらつら。

2009年総括

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・マイナーと過去問
ひたすら解いてました。
で、午前中は部活に行ったり後輩教えたり
入浴は2時間きっかり
そして大学に住み着く。


・医師国家試験
まじめにこつこつやってこなかったので
最後に追い込むしかなかった(笑)
3日間の試験は疲れます。
合格に必要なのは学力ではなくて
体力と気力なのだと実感。


・地球の反対側へ
アンデスに魅せられて帰国。
もう一度訪れたい国。


・続く卒業旅行
あっちゃこっちゃ行ってました。
熊野古道は全制覇したいところ。


・怒涛の引越し
捨てまくったはずなのに・・・
台所とかあふれてた。
無謀な引越し敢行。
の最中に合格発表。


・若葉マークのお医者さん
病棟のルールとか看護師さんとの付き合い方とか。
右も左もわからないのにいきなり「指示ください」はてんぱりますよね。


・仏さん
・・・・・天使とかね、女神とかね、そういうのがいいよね。
観音様とかね、どう反応していいかわからないよね。


・殻をやぶってみようかと
殻からは出てみたものの
脱皮の必要性もありそうです。
でも、だんだん変わってきたんじゃないかな。


・はじめて連休
忙しいのは覚悟していたけれど
お休みないと人間だめだと思いました。
休みない上に余裕がなくなっていろんなことが・・・・・ごにょごにょ。


・再び悩み始める
進路についてまた悩み始める。
興味と、仕事を続けるということを天秤にかけて
また悩み始める。


・ピヨピヨピヨ!!
ピヨピヨピヨピヨ!!!!!
何だか自分たちの意思より先にいろんなことがね。


・お前医師免許もってんだからな!!
はい~っ!
とまあ、怒鳴られたりしながら一日中動きっぱなしで
この時期だからか何だか知らないけれど
重症患者に加えて薬中とアル中の多いこと・・・・。
2キロやせましたが、またすぐ戻る気がする。


・年越しは
確実に病院ですが
考えてみたらゆっくりした年末年始なんてないのだから
今までとそう変わらないのかも知れない。






2009年も残すところあと1日。
あっという間。
忙しかったし、周りも自分自身も大きく変化のあった1年でしたが
生きることに前向きになれた1年でした。
そういう出会いがあって
支えてくれる人がいて
朝カーテンを開けるのが楽しみになる。
見上げる空の色に癒される。
冬野香りをかみ締めながら帰宅する。

それだけで、いいのだと、思う。




迷走中ですが
道は見失っていないつもり。
がんばれ、ぴのこ。


冷え込む年末。
皆様、良いお年を。
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by 2pinoko | 2009-12-30 15:46 | つらつら。

6年間を振り返って(2)



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続きはまたなんて言っておきながら、ゆっくりPCに向かう暇もなく過ごしておりました。
南米から帰ってきて以降は国内をまわっておりまして
先日やっと自分のアパートにもどって来ました。
こんな理由で「忙しい」なんて贅沢な話です。

ぽかぽか陽気の山桜の道を歩き、ダウン着こんで雪山を上り
南へ北へと訪ね歩いていたわけですが
一面の菜の花でも真っ白に光る雪景色でも
変わらないのは風にのって運ばれてくる春のかほり。

今年も、また、春がやってきました。


そろそろ研修に向けて勉強でも、と思っていたのですが
まず片付けるべきは引っ越し準備の様です。
昨日大量のファイル教科書問題集の類を処理しましたが
まだまだ、まだまだのようで。
特に台所回りとかどうしたら良いものか・・・・・。
果たして私は引っ越せるのでしょうか。

*****************************************************************

話を戻しましょう。


やり場のない気持ちをいろんな形で表現できたのがこのまほろま。でした。そしてブログをきっかけにいろいろな人の考えにも触れ、テレビや新聞ではわからない「声」も目にするようになりました。

今後の自分について真剣に考えるきっかけとなったのは3年前の大野病院事件です。あのニュースは学生の私にも衝撃的であり、自分の行く末に大きな不安を覚えました。自分が既に「こっち側」の人間になってしまっている事実に気付かされ、かといって医療者側の意見に完全に同意できるわけでもないその気持ち悪さ。ネット上で繰り広げられる討論に(討論などと呼べないものも多々見受けられましたが)立場の違いから生まれる溝は限りなく深く感じられ、その当時は自分の進む道に全く希望なんてないのではと思ったくらいです。将来について、医師という職業について、自分の立ち位置について、女性であるということについて、考え始めたのはこのとき。大学3年生でした。


大学生活の後半は忙しく、常に何かに追われた生活していたような気がします。そしてプライベーにおいて、個人的には最も辛い時期でした。
実習が始まり慣れないことに右往左往し、自分の無力を思い知る日々。
そんな時期に辛いことが重なり、途方に暮れ、もうこれは進むしかないのだと自分に言い聞かせて盲目的に走り続けていたように思います。良くないことというのは重なるもので、続けて2重3重と圧し掛かってくる苦渋に耐えきれず、私はよく逃げ出しました。自分がこんなに卑怯な人間だと思わなかったし、陋劣な自己を恥じました。人間というもの、人の死に向き合うことが恐ろしくなり、このままの進路でいいものかと悩んだりもしました。薬のお世話になった時期もあったし、しまいには大学を休学したいと言って親を心配させたこともあります。それでも容赦なくやってくるのが就職試験であり卒業試験であり、自分の調子と相談しながらのらりくらり日々を「こなす」毎日でした。へらへら笑っている自分に嫌気がさしたものです。可笑しくもないくせに。

うだうだと考えるのです。今の自分、将来の自分、昔の自分、さて、どう歩く?


救いとなったのはこのまほろま。でした。元気じゃない自分でも「元気」でいられたし、そうすることで自分自身を励ますことができました。また、虚勢を張ることもなく疲れたときは疲れたのだと言える場所。うだうだと感情や思考の断片を文字にすることによって、私は自分自身と向き合っていたのだと思います。
そして何より支えとなったのは家族を含む私の大切な人たちです。いつでも彼らが健康で、笑っていて欲しい。原点はここであり、思い出させてくれたのもまた、彼らでした。
くわえて時間の経過は私に考える余裕と卑劣で弱い自分を認める勇気を与えてくれました。そして、自分のこれからに向き合う勇気も。

入学当初に抱いた気持とずっと見つめ続けた現実と現在の覚悟、全部ひっくるめてまずは一歩一歩しっかり歩いていきたいと思います。ずっと正解のわからないまま考え続けてきたことへの現時点での答えです。
国試前に今のような気持ちになれたことは本当に良かったと思います。そうでなければ国試も全くやる気のないまま受験して、不合格になってもきっとショックさえ受けなかったでしょう。




合格発表前に書いておきたかったこと。

応援してくれた人に
優しさをくれた人に
楽しい時間をくれた人に
私を支えてくれた人に
私の成長を見守ってくれた人に

まだ合否はわかりませんがちょっと人より長かった学生生活もとりあえずは終了です。
ここまで長々と読んでくださいましてありがとうございました。
完全に自己満足でしかないまほろま。でしたが、それでもPCの画面の向こうにいるあなたの存在を意識することで今の私を保つことができたのだと言っても過言ではありません。
研修医になってもまほろま。を続けるかはわかりません。もしかしたら4月からは研修医ではなく、医学にちょっと詳しいただの人になっているかも知れませんが(!!)。
相変わらずまとまりもつかず申し訳ありませんが、以上が今の私の等身大の気持ちです。ずっとまほろま。の住人だった「医学生ぴのこ」には私の中でけじめをつけ、これからは前をみてしっかりとこの先の道を歩んでいきたいと思います。



ありがとうございました。





                             ぴのこ
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by 2pinoko | 2009-03-23 21:41 | つらつら。

6年間を振り返って(1)

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国家試験が終了して一か月が経ちました。この一か月何をしていたかというとそれはもう遊ぶのに忙しかったわけです。そしてそれは月末まで続くのですが・・・・。国試が終わってすぐ4月からの部屋を決め、そのまま卒業旅行で地球の裏側へ逃亡。帰国してからも第2の卒業旅行に出かけておりまして、昨日自分の部屋に帰って参りました。来週は3回目の卒業旅行。友人には何度卒業する気なんだと突っ込まれてしまいましたが、研修先の病院に4月までは遊び倒して来いと言ってもらったのを免罪符に遊び狂って(笑)しまおうと思います。引っ越しの準備がさっぱり進まず困っていますが、自業自得ですね。


国家試験の合格発表は3月27日です。
合否が出る前に書いておこうと思ったこと、それは人よりチョイとだけ長かった学生生活を振り返って、です。


私が医学部進学を決めたのは高校2年生の終わりか、3年生の始めか・・・・。実はもうはっきりと覚えていませんが友人とひょんなきっかけで参加した大学のセミナー(学部自体は文系でしたが)で感銘を受け、その後の自分の進路についてずっと悩み続け、受験間近になって決心したのが医学部進学でした。医学部入学後ずっと自閉症児と関わってきたのもあの時のセミナーの影響が強かったのだと思います。

医学部進学を決める理由は人により様々です。憧れの職だったから、家を継ぐため、偏差値が高かったから、家族の病気がきっかけで、人の役にたちたかったから、ただなんとなく。実際に医学部に籍をおいてまわりを見てみるとその入学理由は様々だったし、温度差もありました。
なんとなく流れに乗って医学部受験をし、合格したのでここにいる。そういう人が多いことに当時の私は驚き「自分は違うんだ」と深層で優越感に浸っていたりもしました。今思えばつまらないプライドです。

私も周りの皆と同じように大学生活をこなし、十分に楽しんだ自覚はあります。そんな中で大抵の人がそうであるように入学時の気持ちなど忘れ流されてしまっている自分も感じていました。私はいったいどうしたいのか、何がしたいのか、どうなっていきたいのか。そんなことを考えてみても試験だのなんだのこなしていかねばならない課題や仲間との約束や部活に追われ、日々は過ぎていきました。



大学生活を十分に楽しんだ自覚はあると書きましたが、同時にずっと違和感も感じていました。医学部というこの特殊な空間について、私はいつもどことなく馴染めない感覚を抱いていたのも事実です。何だか、おかしい。入学してすぐに抱いたこの感想は結局覆ることなく今に至ります。将来皆同じ職業につき同業者になる集団・プライドの高い集団・きれものの多い集団・聞き分けの良い集団  医学生。どう表現してもしっくりくるものはありませんが、私の違和感はこの一つ一つの構成要素に起因しているのでしょう。この集団の中にどっぷり浸かりながらまた疎外感を感じている自分。そんなわけで私は医学部というものが残念ながらあまり好きにはなれませんでした。
飽くまでこれは私の問題です。集団としての「医学部」とどうもそりが合わなかったらしい。だからあまり大きな飲み会に顔を出すのも苦手だったし、一人でふらふらしていることが多かったようにも思います。



長くなりそうですね。
続きはまた。
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by 2pinoko | 2009-03-13 20:29 | つらつら。