Last Night I Had The Strangest Dream


      
     子供だった。
    
     それは幼稚園の父親参観日だった。

      

 
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幼稚園バスからおりたら、まず裏の林に遊びに行った。
山の中にあるという、珍しい立地で、毎日木の実を探したり、泥団子を作ったり
野うさぎを見つけたり、木に登ったり
とにかく腕白の限りをつくした幼稚園時代だった。



そして、その頃の日曜日と言えば、病院とカセットとイタリアンだった。


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毎週家族4人で新宿のJR病院に向かった。
祖父の見舞いだった。

祖父との思い出は少ない。祖母に至ってはほとんどない。
一緒に動物園に行って私が迷子になったこと(私はよく迷子になった。周囲の物に気をとられていると気がつけば自分1人になっていた、ということは少なくない。おまけによく溺れて死にかけた。水が嫌いにならなかったのが不思議なくらいである。)
私が母に叱られて泣いていると壺から黒飴をだしてこっそりくれたこと、
そして両親が病室にいないと私たちに嗄れ声でマーゲンチューブにビールを流し込めと言っていたこと、
これが祖父について私が覚えている全てである。

小さな私に死という実感はなかった。毎週おじいちゃんに会いに行く、それだけなのだ。
日曜日は家族そろって出かける珍しい日、車の中でビートルズとサイモン・アンド・ガーファンクルが流れる日、そしてイタリアンレストランに行く日、だった。

日曜日の車の中では必ずビートルズとサイモン・アンド・ガーファンクルがかかっていた。
私はHe Was My Brother が大好きだった。母は「変わった子ね」と言った。
カセットを聴きながら必ず帰りに寄る店があった。国道の下の、地下にあるイタリアンレストラン。
照明は落とされており、各テーブルの上には太いローソクが置かれていて
この溶けた蠟を剥ぐのが私の毎週の楽しみだった。
大きな塊を細心の注意を払って、とる。
剝ぎとった蝋は大切に紙ナプキンに包んでポケットにしまった。

父も母も、もちろん私たちもよく食べた。
一度4人で13皿注文し、店のシェフに心配されたこともある。
4人とはいえ2人は小さな子供だ。今にして思えば、よく食べられたものだと感心してしまう。
ここのイカスミとロブスターが最高に美味しかったのを覚えている。


日曜日は祖父の見舞いの日。
だけれど、私は毎週のこの日が楽しみだったのである。
家族の揃う、お出かけの日だったのだ。




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舌癌術後の患者さんを受け持った。
祖父と同じ、大酒のみの、愛煙家。

CDを借りに行った。
久しぶりに聴いた He Was My Brother
自分は音痴だと信じて人前で歌うことのない父だけれど、若者たちと The Sound Of Silenceだけは口ずさんでいたっけ。

味わえなくてもいい、チューブにビールを入れて欲しいと言って父に怒られていた祖父。
ベッドサイドにいる私はあの頃と同じ。

父はどんな気持であのカセットを聞いていたのだろう。
日曜日だけ 繰り返し 何度も何度も




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最近は、昔のことをよく思い出す。
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by 2pinoko | 2007-10-31 01:24 | つらつら。
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