水色のウサギ

私は小さい頃 虹色のウサギになりたかった。



今考えてみたら虹色のウサギなんて お祭りで人工的に着色されて売られているヒヨコたち同様気持ちのよいものではない。

小さな子供にありがちで
ウサギが好き きれいなお色が好き
だから虹色のウサギだった。
それ以外に深い意味などない。






よく虹色のウサギの絵を描いた。
下に自分の名前を書いた。
一人だと寂しいので 茶色のウサギと水色のウサギも描いた。

茶色のウサギは母だった。
母は茶色いウサギ以外ありえないと思っていた。
安心の色。

水色のウサギは姉だった。
彼女は色黒で 実際は水色が似合わなかったのだが、一番しっくりきた。
空と同じ色。


どうしても思い出せないのが父の色。
何色のウサギだったのか。
母と姉の色は鮮明に覚えているのに 父の色を思い出すことができない。
考えて もともと父には色がなかったのかもしれないという結論に至った。
彼は忙しい人だったので。
父のことは大好きだったが 自分の周りにほかのウサギたちを描こうとしたとき茶色の母ウサギと水色の姉ウサギだけが当然のように頭に浮かんだのかもしれない。
そう思い至って このことは父に黙っておこうと思った。

私の描く虹色のウサギの隣には たいてい水色のウサギがいた。
仲良く2匹のウサギは並んで笑っていた。

虹色のウサギと 水色のウサギは どこに行くにも一緒だった。













水色のウサギが つい先日 結婚した。





姉の姓は私と違うものになった。




私は姉が大好きで 自我が目覚める5歳くらいまでは彼女にくっついて歩いていたように思う。
姉のしていることは何でも真似したがった。
姉も私のことをずいぶんとかわいがってくれた。

姉の結婚にあたり 昔のことをいろいろと思い出した。



小さな頃は一緒にお風呂に入っていた。
そこで 姉は私にいろいろなことを教えてくれた。
姉が教えたことを試験代わりに質問し 私はその答えを正確に答えなければならなかった。
今でもよく覚えているのが 
 姉「ブッダの本名は?」
 私「ゴータマ・シッダールタ」

当時姉妹は手塚治の「ブッダ」にはまっており、風呂場で座禅を組んで毎晩こんなやり取りばかりしていた。
今になって思えば 彼女はあの頃から東洋史に興味があったのかなと。


夏は母の田舎の小樽の海で泳いだ。
私は泳げなかったので 浮き輪に入り水中眼鏡で海底をのぞいて あの貝をとってくれと姉にせがむ。
姉はさっともぐってきれいな貝殻を拾ってきてくれた。
当時の私の姉に対するイメージはスポーツ万能。
今ではちょっと運動しただけでへなってしまう彼女だけれど。


高校時代、彼女は何を血迷ったか山岳部に入部する。
山の女になる。
まぁ、たくましくなったわな。
いろんな意味でね。


私は高校の社会科では 姉の影響で世界史を選択した。
理系というのはたいてい地理を選択するものである。
それに反し私は 絶対楽しいからという姉の勧めで世界史を履修することになったわけだ。
しかし、この世界史というのは確かに興味深い教科ではあるが受験に使用するには最悪で
私の世界史の模試の成績は燦々たるものであった。
見かねた姉は、私のためにセンター前の世界史特訓を強行した。
その甲斐あってか 本番ではそこそこの点数を取ったが肝心の大学のほうは滑ってしまい
姉には申し訳ないと思いつつも 次の年の受験には世界史をすっぱり捨てさせていただいた。

しかし、世界史を学んでおいて本当によかったと思っている。
海外旅行してもその国の歴史がわかっているので何を見てもいっそう楽しめる。
遺跡を訪ねて歩くのもまた楽しい。
テレビでドキュメンタリーなどみていても 歴史を知っているのと知らないのではその理解度がぜんぜん違う。
こんな素敵な楽しみを教えてくれた姉には感謝している。


優しいおねえちゃん。
こんな歳になっても未だに私のことを甘やかす。
抜けていて だらしがなかったりするんだけど
私の自慢のおねえちゃん。













ウエディングドレスを着ている姉はとてもきれいだった。

もう離れて暮らすようになって9年もたつのに それでもいざ結婚するとなるとなんだかさびしくなってしまって 私は結婚式で泣いてばかりだった。
姉の結婚は もちろん嬉しいんだけどね。
いつも水色のウサギは虹色のウサギの横にいてくれていると
そう思っていたからさ。
ほら、私、おねぇちゃんっ子だから。




おねえちゃん
結婚 おめでとう
幸せになってください。




















虹色のウサギの絵 どこにしまったのだったか・・・
今度 探してみようか
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by 2pinoko | 2005-11-01 02:35 | こんなことがあった。
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