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一小児科医の記録

いろいろ書こうと思っていたことがあったのだけれど、いろいろ飛び越して、いま、私がコロナ禍の中にいることを記録しておこうと思う。


2月:いい加減なコメンテーター(医師)にうんざり】

感染患者についての詳細が頻繁に報道されるようになってから、まあ広がるしかないよね、とは思っていたものの、正直世界中でここまで問題が大きくなるとは思ってはいなかった。調べれば出るだろうし、重症者も死者も一定数出る。インフルエンザで毎年3000人近くが亡くなっているというのにワクチン接種もしてこなかった人たちが、なぜこうも突然不安だ不安だと騒ぎたてるのだろう。メディアが騒いでただ不安を煽り、批判を繰り返し、誰かのせいにしないと気がすまない風潮を感じた。トイレットペーパーはなくなるしマスク行列はできるしで、右往左往している人々が滑稽にさえ映った。もちろん、新型感染症を軽視してはいけない。正しく理解し、予防に努めればよい。それだけだ。息子の保育園でもマスクをつけるようになる子どもが数人でてきた。「ママ、コロナってとっても怖いんだって!○○くんが言ってた!!」と息子が得意げにいうので、「なんで怖いんだと思う?怖い怖い、って言ってたらもっと怖くなっちゃうよ。今、君がやることは何だろう。わからないことは、調べなくちゃね、そして、正しいことは何なのか自分で判断しなくちゃいけない。正体がわかったら怖いものじゃないかもしれない。」と話して聞かせた。息子は神妙な面持ちでじっと考えた後、「お化けっているかいないかわからなし、どんなお化けだろうって考えてたらどんどん怖くなっちゃうね。」と言ったので、私の伝えたかったことは大方理解したのだろうと思った。同時に、息子の成長をうれしく思った。



3月:保育園も登園自粛のお願いをされるようになる】

全国一斉休校にはいってから、人々の意識が変わったのか急激に息苦しさが増した。マスクをせずに歩いていると白い目で見られるようになった。スーパーは品薄が続き、買い求めたいものが自分のタイミングで手に入らない。自治体からは保育園の登園自粛依頼があった。まだ育児休業中で週に2回程度しか働いていない私はこの登園自粛に毎日ではないものの協力可能であったが、園長先生に「スタッフの手は足りている。大切な教育の場だと思っているから、休園希望でなければぜひ連れてきてください」と言っていただけたおかげで、特に長男は卒園までの日々を友達と一緒に楽しく過ごすことができた。この点については、本当に園に感謝している。



3月:診療の変化】

3月のクリニック外来診療では、ガクッと受診者の数が減少した。休園休校で子ども間での感染症の流行がなくなったこともあるだろうが、ほとんどの方が何かあっても基本医療機関を受診せず自宅療養を選択したたためと考えられる。小児科の外来のほとんどは、感染症診療である。そして、多くがself limitedだ。熱発したらすぐに受診する必要はない、薬は必ずしも飲まなければならないものではない。いわゆる「本物」だけが来院すると予想していたのだが、実際は数少ない来院者のほとんども「いま、必ずしも受診する必要」がない症例ばかりであった。今まで医療機関へ受診することを控えることなどなかったのだから、急に「外出自粛、むやみな受診を控えるように」と言われても何が「むやみ」であるか判断がつかない人がいるのは仕方のないことだ。

医師会からの通達で、迅速検査は医療者の感染暴露が問題となるため行わず、臨床症状のみで診断・処方可となった。今までも臨床的に診断できる場合の迅速検査は行っていなかったが、これには臨床的に判断できるだけの材料がそろっていなければいけない。大人の場合は問診である程度症状の有無を判断できるが、小児・特に乳幼児は診察ありきである。咽頭所見を見ずして、溶連菌の判断はできないのである。もちろんたいていの子どもは素直に口を開けてくれるわけではなく、泣き叫んだり、嗚咽をしたり、暴れたり。咽頭を綿棒で拭わなくても、診察するだけでかなりの暴露だ。え、迅速検査やらなくてもさ、咽頭見たら同じことなんだよね。乳幼児はマスクもさせられないし、せき込んでいれば診察室の中にいるだけでもそれなりだ。防護服やフェイスシールドなんて街のクリニックでは用意されていない(そして手にも入らない)、咽頭診察時は花粉症対策用のゴーグルをつけたりしながらいつも以上に気を使って数少ない患者を診察した。

総合病院でも、マスクは11枚と言われ、今までフリーアクセスだったマスクボックスは管理され記名式となった。普段、午前中の診療が終わってマスクをとるときには必ず新しいものにつかけえていた。マスクをとる=新しいものに交換する がスタンダードだったのに、そのマスクをポケットに入れて再度使えという。N95に関しては、一度使用したら1週間それを使うように指示された。え、それ、汚染されてたら意味ないのでは?え?え?そうはおもったが、院内のマスク在庫が危ういのだ。それでも我々医師はまだよい、事務や診療に直接関与していない看護師は、マスクは1週間に1枚だという。

3月の末、外勤先のクリニックに4月からの休職を要請された。受診数が激減しているクリニックの経営は厳しい。そして、マスク含め物資の備蓄にも不安がある。私のようなアルバイトの医師の外来は一度閉じることになった。それは仕方がないし当然のことだと思うが、その分の収入が減る。私はまだいい、常勤の勤務がある。大学病院など収入のほとんど(というか、ほぼ全部)をアルバイトで生計を立てている医師はどうしているのだろうか・・・・・・。

アジアの感染症だった新型コロナウイルスは、気が付けばヨーロッパやアメリカですさまじいスピードで感染が拡大していた。現地の医療現場の報道を見るたびに、これが日本で、いずれ起こる。そう思った。



【そして長男、小学生になる】

小学校の入学式はやるのか、やらないのか。いや、きっとやらないでしょう、と言いながら結局行われた入学式。が、翌日から休校で結局ランドセルを背負って一度も登校はしていない。びっくりしたのはこの入学式で、こどもも大人もマスク着用必須。今までマスクをしたことない長男は戸惑っていたが、まぁ、マスクをつけることはいい。マスクをつけている教員が、発言をするたびにマスクを外すことに驚いた。わざわざマスクを外し、大きな声であいさつするのである。礼儀と思っているのかもしれないが、何のためのマスクと理解しているのか不明。かつ、こどもと両親の記念撮影があり(密着密集)、撮影時にマスクを外すように指示がある。目が点、である。入学式後に各自の教室へ移動となったが、子ども30人に両親60人の計90人が一つの教室にはいろうというのだから・・・・・その様子を想像していただきたい。(付け加えておけば、入学式の行われた体育館も教室も窓は開いていた。)

ころころと方針が変わりそれに対応する先生方も大変であろうことは想像に難くない。が、一般の人たちの認識はこんなものなんだと理解する出来事だった。どの行為にどんなリスクがあるのか、適切な予防とは何なのか、私が思っていたより一般には浸透していないのだと理解した。



【ならし保育、始まる】

長男、次男の時にはなかったならし保育。私の常勤仕事復帰に伴い長女が保育園に入園することになり、この面倒なならし保育をすることに。今までも私が仕事の時は保育施設に預けてはいたので、まったく心配していなかった。慣らし保育の打ち合わせ時には「4日後にはフルに働けるようにしたい」ときっと無理なことを言ったのだろうが、ありがたいことに保育園側も協力してくれてならし保育は始まった。初日は午前中保育かと思いきや、まさかの一時間母児同室保育!!一時間のみ!!同室!!!これには面を食らったが、4日後には朝730分に預けて、お迎えは1830分(預けられる最長時間)の保育に移行できた。もともと9名の入園予定者がいたが、5名でスタート。その間、緊急事態宣言が出たりしたせいか登園を取りやめる子どもも出てきて、いつの間にか0歳児クラスは娘だけになった。まだ同年代の子どもと一緒に遊ぶような年齢ではないので良かったかもしれない。先生たちを毎日独り占めしているらしい。



【一般小児病院の現状】

とにかく人がいなくて大変であった職場。私の復帰を心待ちにしていてくれたが、復帰後外来受診人数は激減し、もちろん入院もほとんどいなくなった。入院患者は基礎疾患のあるこどもと感染症以外の子ども、そして鑑別に苦慮する症例ばかり。いずれも入院が必要な症例であるが、ながびく休校休園自粛生活で感染症の流行はなく、小児の一般入院症例は激減したのである。感染対策、院内外の対応、両親への対応、もろもろ決め事が多く面倒な仕事は増えたのだが本来の小児科としての忙しさはすっかりなく、午前中にほとんどの仕事が終わってしまうという状況になった。当直をしていても救急受診はほぼなくなり、コールがないことが不安になりむしろ目が覚めてしまう。朝まで一度も電話がならなかった当直が、こうも続くとは思わなかった。それくらい、受診者がいない。

こどものCOVID-19症例の報告をみるとこれといった症状があるわけでもなく、違う言い方をすれはなんでもありだ。呼吸器症状がないからといって否定もできない。無症状も多い。年明けから多かったインフルエンザが出ない重症呼吸器感染症はもしかして・・・・focusがはっきりしない長引く熱発はもしかして・・・・・そもそも、すでに自分は既感染である気がする。小児科医の誰もが、そう思って診療している。一般小児の診療はかなりの飛沫を浴びるし接触も多い。そんな中、ある病院で入院後数日たってからSARS-CoV-2陽性であったことが判明した児のニュースをテレビで目にした。もちろん病棟閉鎖となり多くのスタッフが出勤停止、通常診療不能。大変なことであったと思う。ああ、うちの病院もいつかはこうなるのでは、と病棟の誰しもが思った。調べていないだけで、すでに自分たちも診ているのだろう、怪しい経過の症例はいっぱいいた、ここ最近。感度の低いPCR検査だが、現状この検査に頼るしかない。しかし、我々が怪しいと思ってもすぐにPCRを依頼できるわけではなかった。敷居の高いこの検査は、実のところ、重症にはならない小児にはほとんど施行されていない。(2020.5現在はもう少し検査依頼しやすくなっている)

疑い症例にはフルPPEで対応するが、PCR陰性と判明したとたん無罪放免のように通常の入院扱いになる。偽陰性である可能性はそれなりなわけだが、それでもこの検査の結果を指標にして診療していかなければならない。患者は少ないのに、医療物資は潤沢とはいえない。これはいつまで続くのか。

私が病棟復帰してから日に日に状況は変化していった。患者はいない。だが、感染症対策はさらに厳しくなる。慢性疾患の患者の受診はキャンセルになるか、電話受診で対応。付き添い入院はもちろん、入院しているこどもの親の面会も禁止。親の不安と不満ををぶつけられ、対応するスタッフも疲弊する。

親との面会が一切できなくなったことから、精神的に不安定なまま長期入院を余儀なくされた子どもがいる。

NICUの面会は中止となり、母親の育児指導もほぼ実施されず、不安なまま退院していく子どもがいる。中には出産直後我が子を腕に抱くこともできないまま児は入院、その後退院までの数週間、(この状況が続けば何か月も)児に会うことができない例もある。退院後の新生児訪問も現状行われておらず、退院後の母と子に寄り添い支援してくれる仕組みが今や機能していないのである。

入院中の子どものストレスをどう軽減していくか、リスクの高い母子をどう支えていくか、人との接触を制限される中でできることをやらなくては。これが当面の課題となった。



【命の危険にさらされている子どもがいる】

病院受診を皆が控えるようになり、生存確認できなくなった子どもたちがいる。保育園に行っていることが、小学校に行っていることが、大切な見守りの目であったのに、それもなく、病院にもやってこなくなり、どうしているのかと心配になる子どもたちがいる。給食が大切な栄養源であったのに、はたしてあの子たちは無事なのだろうか。今は保健センター含め地域の見守りが機能していない、児童相談所がフォローしてくれているのだろうか。ずっと両親と自宅にいることで、手をあげられたりしていないだろうか。心配は尽きない。

明るみにならない虐待が、いま増えている。児童相談所から一時保護の依頼はさっぱり来なくなったが、虐待がなくなったわけでは決してない。



【つながれ】

ずっと息苦しかった。ものがない、笑顔がない、やさしさがない。マスクをしていなければ毒ガスでも吐き出しているのか?と問いたい。人と触れ合うことを避け、自粛自粛と叫ばれるようになってからさらに自らの正義を振りかざす人が増えた。露骨にむき出しされる嫌悪。ここぞとばかりに相手を非難し、世の中のために良いことをしたのだと満足する。それでこの鬱鬱とした気分を晴らしている人もいるのかもしれない。●●していないあいつはけしからん!とSNSで拡散するより、いま自分が何をやるべきか正しく理解しその情報を発信するほうがよっぽど有益で建設的だ。

いま、多くの物理的つながりが絶たれ、日常が奪われたことでさまざまなストレスを抱えてみんな生活している。人はつながりを持ってこそ人でいられる、つながらないと生きていけない。大事にしなくちゃいけないのは、誰かを非難するために集まる不特定多数の仲間ではない。エビデンスもなく噂レベルの話から不安をあおり真実かのごとく報道するメディアでもない。あなたの大切な人、あなたを助けてくれる人、つながるんだ。つながりが制限され心のバランスを崩している子どもがたくさんいる、それをわかっていても私たちは何もできない。どんなに適切な医療を適切なタイミングで提供できる用意があっても、このつながりがないと我々のcurecare も完了しないのだと、今回改めて実感した。

乳児を抱え不安で何もできず、睡眠もままならず、ただ弱り果てていくお母さんが家の外の世界とつながって、どうかどうか笑顔が増えますように。

助けを求めたい子どもが外の世界の信用できる大人とつながることができるよう、願ってやまない。






# by 2pinoko | 2020-05-08 19:11 | つらつら。

保育園を退園させられそうになった話②

先日長男次男のお迎えの時の話。


お迎えには園の教室まで行くのだが、奴らはなかなかおもちゃを片付けない、やっと片付けたと思ったら上履きを履かない荷物を持たない、で、やっと帰り支度が整うと兄弟で玄関までダッシュ→玄関ソファによじ登る次男を私注意→下駄箱によじ登る長男を私一喝→兄弟でじゃれあうのを引きはがし何回目かの「靴を履きなさい」 とまあいつもの流れなのだがが、帰りが一緒になった4歳の園児(女児)のパパに「大変ですねぇ」と声をかけられた。が、その後さらにぼそっと「あーうちは一人でよかった」とな。

門の外に出た後も友達と一緒でテンションの上がっている次男は、直前で「飛び出さない、勝手に走っていかない」のお約束をしたにも関わらず全速力で脱走。あー行っちゃったなーと眺めているとそのお父さんが追いかけてくれたりして、はぁすみませんわが息子がご迷惑おかけしまして、しかも追いかけていただいちゃって申訳ないです状態。大体さ、自宅からお迎えに行ってまた帰ってくるまでに1時間かかるとかありえないでしょ夕方はやらなくちゃいけないことがてんこ盛りなんだよいくら楽しいからと言ったってお前たちの遊びには付き合ってられないんだよママは忙しいわけ、と私若干イライラ。ほら帰るよ、こっちでしょを繰り返し、何度目かでやっと4歳園児(女児)とのバイバイにこぎつけた。さようならとこちらが頭を下げると、女児(4歳)のパパに心底気の毒そうな顔で言われてしまった。

「頑張ってください」

頑張ってください って。あなた。私、これ、日常ですけども。応援されちゃったけど。

リビングテーブルの周りとソファの上を走り回られたり(何度注意してもね)、さっき掃除したはずの部屋が数十分後には震度7の地震が起こった後の様子に変わっていたり、壊れそうもないおもちゃの腕やあごがなぜかとれていたり、起き上がりこぶしがべこべこにへこんで音もならなくなったり、そういうのきっとこのパパには想像つかないんだろうなぁと、そんなことを思ったのでした。



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さて、間が空きすぎてしまったが保育園を退園させられそうになった話②。

(相変わらず手のかからない乳児と手のかかる幼児にてこずっているとお察しください。)


現在居住している地域では、育休中も保育園を退園しなくても済むのでそこは安心していた。しかし、通常保育時間ではなく、育児短時間でのお預かりとなってしまう。育児短時間でも朝9時から夕方5時までのお預かりなので幼稚園に預けているおうちのママからしたら贅沢な話なのかもしれないが、私としては夕方5時から息子たちが家にいるのはうるさくて仕方がない。しかも、夫に送り迎えを頼めないので送迎は私。毎日送迎で2時間近くを費やすのは嫌だったのである。(なぜ2時間かかるのかは冒頭の通りです)

そして悩みがもう一つ、私が仕事をしていると育児短時間ではカバーできないということ。医師の多くは常勤の勤務先の他にもいくつか非常勤をしていたりする。そして私の場合も産後1か月足らずでこの非常勤勤務を再開する予定となっていた。この非常勤勤務は育児短時間ではカバーできなかったのである。


そもそもこの非常勤、大学から指示を受けて行なっている定期外来であり、妊娠がわかってから産休育休中の代診を大学側に依頼している勤務であった。が、大学からの返答は「代診はだせない、できない分は休診にするなりして自分で対応してください」とかなり冷たいもの。そんな無責任な回答あるかいと思いはしたが、大学に期待もしていなかったので諦めた。自分が診療できないときは休診にするしかないが、もともと予約待ちの多い外来で何か月も休診にはできない。専門性の高い外来なので誰にでも代診を頼めるものではない。外来自体を閉じてしまうことは私の判断ではできないし、今私が見ている子どもたちが路頭に迷ってしまう。悩んだ結果、産休に入ってからも出産ぎりぎりまで外来を行い、産後1か月で再開することとした。しかし、生まれたばかりの第3子はシッターか実母に預ける手はずを整えたが、息子たちが短時間保育では対応ができない。定期で息子たちの延長保育を申し込んでも構わなかったのだが、仕事が理由の保育なのに定期で「延長保育」扱いになるのがなんだか解せなかったし、本来なら育休中であるはずなのに大学の意向でやらされている外来のせいで更に私の負担が増えるのも不満であった。どうにか通常保育のままで子どもたちを預かってもらえないかな、と、自治体の保育基準をみてみると≪通常保育時間:月48時間以上の就労状態を常態化していることが条件≫とあるではないか!実は、大学から依頼されて行っている定期外来は1か所だけではない。この条件クリアできるんじゃない!?そしたら育休開始後も通常保育時間で預かってもらえるかも!そんなわけで、出産して退院後、すぐに自治体の保育課に電話をかけてみたのである。


保育課の担当職員「え!?産休中なのに就労するんですか?」「それはしなくちゃいけないものなんですか!?働くよう強要されているってことでしょうか?」と困惑気味・・・・・。そもそも、仕事している日は通常保育時間に変えてもらえたりしないかなぁと淡い期待を込めて電話をしただけだったのに、担当者の返答はこうだった。「お母さまが就労していると判断された場合、保育条件を満たさず場合によっては保育園を退園していただくことになるかもしれません。また、月48時間を超えて就労されている場合でも当初保育認定を受けたころの点数より低くなるため、これも退園していただく可能性が出てきます。」

どういうことかというと、私の住んでいる自治体では育休中でも復職を前提として在園を継続できるが、少しでも就労してしまうと「復職した」と判断されるかもしれないと。そして、現状週1-2回程度の勤務では厳しい認可の入園基準を満たさず、保育園に在園できなくなる可能性がある、とな。

大学の仕事をいろいろ無理して調整して続けるのに、そのせいでわが子が在園できなくなるとかそんな馬鹿な話があるかい。と、淡々と担当者に訴えたところ「では、辞令など自分の意志ではなく命令されてやっていると証明できるような書類を提出してください。」ときたもんだ。そんなものあるかーーーー!!産休中から仕事をしろ、とは言われていない、ただ「代診は立てられない」と言われただけだ。それもこちらが急かしてもらったメールの返信で。大体外勤だって辞令が出るわけではない。ここ行って、と軽く伝えられて雇用契約等確認するわけでもなく突然勤務が始まるのだ。給与が振り込まれるようになって初めてその額を知るのである。担当者に、辞令だの命令書だのそんなものない、まともな会社とは違う、退園させられては困るし延長保育料を払うのは別に構わないからどうにかしてほしいと伝えたところ、数日間にわたるやり取りの末『申告書』なる面倒な書類を書く羽目にはなったが、息子たちは何とか在園継続できることになったのである。

退院直後の体もまともに動かない時期にこの対応・・・・本当に疲れたわ。


この後ちょっと調べてみたのだが、育児休業取得中でもある範囲内であれば就労が可能である。就労で得た収入分は育児休業給付金は減額されるようだが、育休の範囲内で働く人の場合はどうなるのだろうか。そういう人、いると思うのだけれど。

私の場合育休をもらっている職場で働くわけではなかったからいけなかったのか、そもそも育休中に働くような人がいないから問題視されたのか。きっとどちらも、なのだろう。


余談だが、保育担当者に私が複数の勤務先から給与を得ているということを認識されてしまったため、この後第3子の入園書類の提出の際にすべての勤務先の就労証明取得を言い渡されてしまった。定期的に勤務しているところの就労証明すべてを提出することになってしまったのだが、月1で行っているところを含めると計4か所・・・・・・。今までメインの勤務先のものしか提出してこなかったのだが、それでは就労状況を正確に把握できないのでと言われてしまった。え、おそらく勤務医のほとんどが複数の勤務先を持っているはずだよ、本当にみんなにすべての外勤先まで就労証明書いてもらってる!?と若干納得できなかったが、しょうがないので従うことにした。

本当、面倒なことだらけなのだが、息子たちは楽しそうに通園しているのでよしとしよう。


認可園の面倒くさい話を友人に愚痴ったところ、小学校はもっと面倒であるといろいろ聞かされ、さらに気が重くなった。

・・・・・頑張ろう。




# by 2pinoko | 2019-11-17 15:50 | こんなことがあった。

保育園を退園させられそうになった話①

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3人目ってかわいい。。。。。

無事に生まれてきた第3子は
すくすく成長し3か月となりました。
にーちゃんたちが保育園に行っている日中は私と乳児の2人きりでとっても静か。
とはいえ、毎日やらなければいけない家事と手続きに追われ、PCなんてほとんど触らず日々が過ぎていきます。
この休み中に書き上げる予定だった論文、もう、できないんじゃないか。

ちょっと前に綺麗な梅を手に入れたので
梅酒をつけました。画像はその時のもの。
秋口には飲めるかしら。

実は書きたかったことはいっぱいあって
無給医や医学部入試問題にも触れたかったんだけど
そうこういっているうちにもう夏よ。

ひとまず、保育園について書いてみようか。

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じつは、今年の1月から初めて認可保育園を利用するようになりました。
もちろん長男出産後仕事復帰する際には近隣の認可保育園の申し込みをしましたが全滅。(そのとき長男3か月)
何とか入れた認証園も1年後には退園せざるを得なくなり
そこからずっと職場近くの認可外保育園を利用していました。
ここがまた、神保育園だったんですよね。
着替えやタオルの持ち帰りなし、当日お迎えが遅れたりすることにも快く対応してくれ、夕飯提供もあり、当直中のお泊まり保育までしてくれる。
毎日英語や空手など、なんらかの教室参加をしてくれる。何よりスタッフさんがベテランばかりで皆とても信頼できる。
出来ればここで息子を卒園させてあげたかったのですが、私が休みに入った後の送り迎えが困難を極めるため、
産休に入る前に近隣の保育施設を探すことになりました。
が、やはり保育園って入りにくいのね。希望園には兄弟揃っての入園が出来ない。
昨年11月、12月入園は叶わず、保育園担当者曰く
「四月になれば空きができるので希望園にはほぼほぼ兄弟揃っての入園ができると思います。しかし、四月に入園した場合6月いっぱいで保育園を退園していただくかお母さんが育休を取得しないで復帰するかが必要です。」

!?

もうね、意味がわからない。
何故やっと入れた保育園を退園しなくてはならないのか。

どうやら、出産予定日前後2ヶ月以内に入園すると、「出産条件」での入園になるらしく預けられるのは産前産後2か月間だけのよう。
今まで「就労条件」の入園申し込みで待機児童になっていても、この期間はの入園は問答無用に「出産条件」に切り替えられてしまうらしい。
待機してやっと入園できたのに数ヶ月後に退園なんて。入園する時期により在園し続けられなくなるなんて、おかしくないですか。
という疑問と不満を担当者に淡々と語ってしまいました。
あなたに伝えてもどうしようもないのはわかってますがと付け加えましたが。

とにかく、近隣の認可園に入園し、通園し続けるには一月入園まで。二月入園になると予定日2ヶ月前になるので6月で退園!
この時12月だったので焦って通園範囲を広げ、希望園を変更して再申し込みをし、2018年の年末に兄弟揃って近隣園への一月入園が決まりました。
滑り込みな感じでなんとか転園が決まったのです。

転園して驚いたこと・大変だったこと

①毎日洗濯物多くない?
今まで着替えを持ち帰ってくることなどない園にいたので、突然洗濯物の量が増え毎日ストレス。タオルと着替え2セットって結構な量。
冬だよ!?必ず全部着替える必要ある!?認可園のお父さんお母さんたちは毎日凄いわ。。

②お迎えの時間を臨機応変にしてもらえない
当然なんでしょうが、「今日遅くなります!」ってのが出来なくなって夕方の緊急に私が全く対応出来なくなり同僚にそのしわよせが。

③延長保育利用しているのは我が家だけ
お迎えに行ってもうちの子どもたちしかいない、あれ?他の園児は?実は、皆さん通常保育時間内にお迎えに来ていたようで。
これには衝撃。
フルで働いていたら厳しくないですか!?
新しい園なので小さな子が多かったからかも知れませんが、母親の時短勤務が実は非常に多いらしくこれにも衝撃を受ける。

④提出書類書類書類
認可園なのでこれは仕方がないのかも知れませんが。兄弟なのに全く同じ内容を二部作る手間。

⑤小児科受診して来てください
熱があったらすぐお迎えの電話(これは覚悟していた)、からの上記発言。
え、受診?私じゃダメですか?→インフルエンザかも知れませんので→熱出たばかりで今調べたりもしませんし、必要なら私が自宅で調べますが。そもそも陰性でもインフルエンザを否定できるわけではないですよ。
とまぁ、面倒な親認定されたこと間違いなし。

⑥保育園についてからが時間かかる
今まで入り口で子どもを受け渡し、じゃ!と出勤してたんですが、
今度の園は子どもの部屋まで入ってバッグの中身を出してセットまでしなくてはなりません。
お迎えも部屋まで迎えに行く必要がある。
で、まっすぐ登園降園ができない息子たち。
他の園児と一緒になったら楽しくなっちゃって走り回ったり壁に登ったりとにかく時間がかかる。
後からお迎えに来た女の子のお家の方が先に帰ってるけど?何なの男子。
今まではほいと車に乗せてしまえば良かったので困ったことなど無かったのですが、徒歩で連れ帰るとかほんと難易度高い。
大人で10分の道のりに1時間かけて帰宅、私イライラ。
これが当たり前なのかも知れませんが今までその苦労をしてこなかったもので。。


そんなこんなで、年明けと同時に転園した息子たち。
本人たちは新しい環境に戸惑う様子なく、相変わらずマイペースで楽しく過ごせているようでした。
で、すぐに私が就業停止の自宅安静となってしまったのですが
転園が間に合って本当に良かった。

さて、無事に通園先を確保しすっかり安心していたんですが、この後また保育園担当者に「退園」をほのめかされ焦ることになるのです。





# by 2pinoko | 2019-08-01 14:20 | こんなことがあった。

赤鬼と中の人の話

「なんとなくこわいもの」にはまった息子たちのために、図書館からお化けシリーズやら鬼シリーズやらをまとめ借りしてきた。

『泣いた赤鬼』これを本棚から手に取ったとき危険なことになるのではの考えが頭をよぎるも、そのまま貸出台へ。しかし案の定まともに読み聞かせができなかった。

まず、村人が遊びに来てくれず、赤鬼が自ら作った立札を乱暴に壊すシーンに私声が震える。

そこからずっと目頭が熱くなるのをこらえ、こらえ、こらえて青鬼からの手紙にせき止められず決壊。わかっていたけれど、自分の予想を超える涙っぷりに私は狼狽え、息子も困惑。読み終えた後、息子は無言で布団の中に入っていった。母が涙と鼻水を垂らしながら朗読する姿をみて何を思ったのだろうか・・・・。

夫には「勘弁して」と言われる始末。

ごんぎつね も私は読み聞かせできないのだろう、この分だと。

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9カ月ともなると、胎動はポコポコなんてかわいいものではない。中の人は足を突っ張り尻を突き出して、子宮の壁をなぞるように動くものだから体内の異生物感が高まる。女性は何か月もの間腹の中で育っていく我が子を「感じ」母親になっていくが、これを経験せずしてある日突然父親に成らざるを得ない男性は何とも可哀想だなと感じる。子宮と腹壁越しに臀部を撫でる、2㎏程度の胎児の小さな身体、ひっくひっくとしゃっくりする様子、何とも愛おしい。

この、腹に抱える、異物。

これを現在、完全に自らの血と肉で育てているという、快感。

妊婦生活はこれで3回目であるが、1回目より2回目、2回目より3回目と回数を追うごとに身体の辛さは増す。腰は痛いし、一つ一つの動作にどうにもエネルギーを使う。皇帝ペンギンの行進のごとく、頭を左右に揺らしながら腹を突き出して不安定に歩く。腹は今回が一番大きくなっているのではないかと思っていたが、過去の妊娠の腹囲および体重の推移記録と今回のものを見比べると何ら変わりはない。この腹を支える体幹の筋力低下と体力低下、別の言い方をすれば老化が「辛さ」をより強くしている原因のようである。外来でお母さんたちに何カ月ですかと聞かれ、もう9カ月に入っているですよと答えるとびっくりされる。おなか、全然出ていないじゃないですかと言われても、私としてはもう2か月くらい前から臨月の気分なのだからこれ以上大きくなられたらたまったものではない。

いま出てきたらどんな処置が必要になる、なんてことを考えながら妊娠生活を送ってきた。実際は自分で行うことはないのだろうか、中の人が外に出た後の「医療」を考え蘇生が必要になった場合の必要物品や挿管チューブのサイズまで脳内確認している。最近は肺の成熟が期待できるから呼吸器による呼吸補助はいらなくなるな、なんてことに安堵したり。職業病。

皇帝ペンギン生活もあと1か月程度。何か月も大切に腹で育てた異物を産み落としてしまうのは、なんだか寂しい気持ちもあるのも確か。

今も子宮壁を元気に蹴り上げる中の人を撫でながら、もう少しもう少しと言い聞かせている。もう少し、もう少し。


# by 2pinoko | 2019-03-05 00:50 | つらつら。

14年目。無給医について。

放置。

11年目の記事を書いて、その後3年も放っておいたようです。
だって、時間がない。

世のママたちの子育てや家事、インテリア紹介ブログっで多いですが
そういうのを見ていて思うのは

  なぜ、ブログをかく時間がある

ということ。
いや、ブログどころじゃない。
SNSでご丁寧な情報発信する時間がなぜある。
ほんと、そう思ってます。
(そもそも、私生活を外に発信することに私が全く興味がないからかもしれませんが?)

自宅でPCを開こうものなら子どもに上に乗っかられて盛大に邪魔され
というか、そもそもPCを起動させる暇なんぞなく
もちろん毎日職場にノートパソコンを持って行って論文検索や勉強会資料等作ろうとするんだけど
PCに触る暇もなく
毎日のメールチェックもままならない。

そんなわけでだいぶ放置しておりました。
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久しぶりにここに記事を載せる理由の一つですが、最近話題になっている無給医について。

2018年11月、NHKのニュース番組で無給医について特集されました。
放送前に、私もこの無給医について取材協力をさせていただきました。
以下はNHK記者の小林さやかさんが書いたWEB版記事です。



↓こちらが最新の記事かな



私もかつて無給医でしたし、今後いつ無給になるかわらかない立場ではあります。
今の日本の高度医療機関は医師が無給もしくは薄給で働くことで成り立っている現状があります。
以前からずっと疑問に思っていいた問題で、今に始まった話ではありませんが(昔に比べればましになりました)
医師の働き方改革で研修医がほとんど病棟研修をせずもったいない2年間を過ごすプログラムを推奨する前に
無給で労働時間さえカウントされず体力気力を削って働く医師の存在を国は認めるところから始めるべきではないでしょうか。
以前、女医が出産するにあたり「大変なこと」としていくつか実体験を書いたのですが
医者の世界が未だに男性社会であること、無理な勤務体制であることのほか、この医局制度に基づく「無給」も女医が退職してしまう、もしくは一線を退いてしまう原因の一つになっていると思います。

最近話題の医師の時間外労働上限規制案~2000時間とか
働き方改革が叫ばれる中、上記には本当にびっくりしましたが
その他、労働管理さえされていない「無給」の医師について、大学病院以外での診療(当直や外来など)についてはどうするつもりなのか
「労働」にカウントされていない当直やオンコール待機をどうとらえるのか
しっかり議論していただきたい。

取材でお会いした小林氏はNHK記者として多忙な中子育ても奮闘している素敵な女性でした。
かなり放置されていましたまほろま。ですが、私自身も思うところがあり、何か協力できたらと記事を紹介いたします。

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さてここ数年間での変化と近況について

・被虐待児を多く診療するようになり、医師の無知や無責任の多くを目にしてきました。本当に、本当にたくさん。小児科医でさえ、虐待について、被虐待児の診察について、アセスメントについて、フォローについて、「無知」であるが故に放置しているのです。医師の無知は罪である。
・私の仕事は子どもと子どもと向き合う親を支えることだと確信するようになりました。
・日本の虐待被害児に対する対応や制度にもどかしさや憤りを感じる毎日、自分のできることを小さな世界で細々やっています。
 →とここまで記事を書いたところで、千葉県小4女児の虐待死のニュースが目に飛び込んできました。
  以前千葉の総合病院勤務の先生が、千葉の児相や警察の対応についてひどすぎると嘆いていたことを思い出しました。
  私の診療地域も虐待やマルトリートメント症例が多く、同様に思うところはたくさんあります。
  それについてはまたいつか、追々・・・・
・自分の専門をもっと生かせる方法はないか思案中。
・ちびたち2人の破壊力はすさまじく、毎日ぎりきりです(笑)。
・自分のやりたいことはあるものの、今後もこの働き方が続けられるとは思えず、悩んでいます。
・そして家族がもう一人増えます、楽しみではありますが上記については本当に悩み。
・そしてそして、1か月前から突然働けなくなり同僚の皆さんに大大大迷惑をかけて休職中。
・そんなわけで、安静を言い渡されたためメールをチェックしたりこんな記事を書いたりしている時間ができたわけです、はい。

気が付けば研修医教育を任されるようになり
(でもその教育したい研修医が病棟にほとんどいないので、学生+α程度のことしか教えられていないんですけど)
論文に追われるようになり
お肌のシミが目立つようになり
筋力の低下を顕著に感じるようになり
当直明けの鏡に映った自分の顔が直視できなくなり

・・・・・・・・・まほろま。も14年目になるのですからね。
私もそれ相応に歳をとったということですね。


理由はともあれ、こんな風に時間もできたことですし
また少し、つらつら再開してみたいと思います。

      2019年2月  ぴのこ

# by 2pinoko | 2019-02-09 15:21 | つらつら。